1976年~2000年の世界最強馬ランキングTop15




10位:ジェネラス

牡馬:アイルランド:1990~1991:11戦6勝:G1・4勝
調教師 P・コール:主戦騎手 A・ムンロ
ベストレース:1991年・キングジョージ6世&クイーンエリザベスS

公式レーティング 136
タイムフォーム 139
レーシング・ポスト 137

単勝51倍で出走したデューハーストSを勝利しクラシック戦線に躍り出るも、3歳シーズンは故障により出遅れとなりぶっつけ本番で挑んだ2000ギニーは4着に敗退。

しかしながら、次レースのダービーを5馬身、愛ダービーを3馬身差で圧勝するとKGⅥ&QEⅡは当時の同レース最大着差となる7馬身差で勝利を収め一気に欧州の頂点に。この時点で偉大なる競走馬と見なされていたことは言うまでもありません。

ただ、この勢いのまま凱旋門賞を大本命として迎えるも、愛ダービーで破ったはずのスワーヴダンサーに大きく離され8着に大敗。10日後にはウイルス感染症を理由に引退が発表されました。

(よくよく考えたら同馬が圧倒的なパフォーマンスを披露したのはたった2か月間だけなんですよね。過大評価のような気がしてきた。)

9位:ドバイミレニアム

牡馬:イギリス:1998~2000:10戦9勝:G1・4勝
調教師 S・ビンスルール:主戦騎手 L・デットーリ
ベストレース:2000年・ドバイWC

公式レーティング 134
タイムフォーム 140
レーシング・ポスト 139

キャリア唯一の敗戦は直線で不利を受け大敗したダービーのみで、2400m未満では向かうところ敵なしのゴドルフィン最高傑作。タイムフォームがレーティング140を与えたのはダンシングブレーヴ以来で、レーシンク・ポストの139を上回る競走馬はフランケル(143)しかいません。(レーシング・ポストはゴドルフィンの息がかかってるから、あまり参考にならないけどね。)

4歳時(2000年)にはモハメド殿下が同馬を歴史的名馬にすべく、当時同じく最強を誇っていたモンジューを所有するクールモアに対し賞金600万ドルのマッチレースを申し込こんだわけですが、実現直前の8月にドバイミレニアムが調教中に骨折し引退。

モンジューの2000年シーズン後半戦のパフォーマンス悪化を考えると、この世紀の対決が実現していれば、ドバイミレニアムが勝利を収めていた可能性が高いでしょうね。まあどっちみち勝手に故障したドバイミレニアム側が悪いんだけど。

8位:シャーガー

牡馬:アイルランド:1980~1981:8戦6勝:G1・3勝
調教師 M・スタウト:主戦騎手 W・スウィンバーン
ベストレース:1981年・ダービー

公式レーティング 136
タイムフォーム 140

かの有名なダービーの大差勝ちだけでなく愛ダービー、KGⅥ&QEⅡも4馬身差で圧勝。後にラムタラやオールアロングに騎乗する名手スウィンバーンも同馬をベストホースに挙げています。

ただ、ダービーの直後に馬主のアガ・カーン4世が超高額のシンジケートを組みその後の選択肢を狭めるようなことさえしなければ、引退後も含め同馬のキャリアは大きく違ったものになったのかなと。

セントレジャーの大敗は知らん。

7位:シガー

牡馬:アメリカ:1976~1978:33戦19勝:G1・11勝
調教師 W・モット:主戦騎手 J・ベイリー
ベストレース:1995年・BCクラシック

公式レーティング 135
タイムフォーム 138
レーシング・ポスト 135

欧州血統のため4歳秋まで芝を主戦としたもののダートに移ると突如大ブレイク。BCクラシック、ドバイWCなどの大レースを含む2年間にも渡る破竹の16連勝により1990年代アメリカ最大の名馬となりました。

国際クラシフィケーション・レーティング値135はアメリカの競走馬として歴代単独1位。タイムフォームにレーティング138以上を与えられたアメリカの競走馬は他にアロゲート(139)、アメリカンファラオ(138)、カリフォルニアクローム(138)と2010年代の3頭しかいません。

ブラッドホース紙の20世紀のアメリカ名馬100選でも1980年代以降の競走馬で最高順位となる第18位にランクインしていますが、もっと早い段階でダートに転向していれば...。

6位:アレッジド

牡馬:アイルランド:1976~1978:10戦9勝:G1・2勝
調教師 V・オブライエン:主戦騎手 L・ピゴット
ベストレース:1978年・凱旋門賞

公式レーティング 134
タイムフォーム 138

アメリカからアイルランドへの転厩や脚部不安、4歳時の感染症などにより大レースへの出走は制限されてしまったものの、リボー以来となる凱旋門賞連覇によって1977年から始まった国際クラシフィケーションにおいて2年連続で欧州ベストホースと評価された1970年代後半の欧州最大の名馬。

もちろん凱旋門賞を2連覇したことで当時の数々の強豪馬を打ち破ったわけですが、同世代で同じオブライエン&ピゴットのコンビが手掛けたダービー馬ミンストレルとの対戦が実現していれば評価は良くも悪くも大きく変わっていたことでしょう。