サード編:MLB歴代の守備の名手たち




1950年代

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ビリー・コックス

Billy Cox: 1941年~1955年
通算守備防御点 5 ReferenceFanGraphs

ドジャース黄金時代においてギル・ホッジス(ファースト)、ジャッキー・ロビンソン(セカンド)、ピー・ウィー・リース(ショート)と共に鉄壁の内野陣を形成し、当時最高のサード守備の持ち主と球界全体から認められていたディフェンシブ・スター。

第2次世界大戦によりMLBデビュー直後から4年間徴兵され、キャリア晩年にはヘルニアを患ったことで選手生活は短く通算成績は大したことありませんが、引退後もブルックス・ロビンソンやクリート・ボイヤーなど各時代の名手たちと比較され続けました。

他の候補選手

ケン・ボイヤー

Ken Boyer: 1955年~1969年:GG賞 6回
通算守備防御点 70 : 守備防御点リーグ1位 5回
ReferenceFanGraphs

弟のクリート・ボイヤーほどではありませんが一時期はNL最高のサード守備を誇り、ゴールドグラブ賞設立1年目(1958年*)から7年間で6度の受賞を果たしたましたが、守備成績も彼がその栄誉に相応しい選手であったことを証明しています。

守備だけでなくバッティングにも優れMVPを受賞するなど素晴らしいキャリアを歩んだ選手ですが、朝鮮戦争による徴兵と二刀流のためMLBデビューが遅れており、その点も考慮して殿堂入りを再考すべき存在。

※ゴールドグラブ賞の正確な設立年は1957年ですが、1年目は両リーグから1人だけを選ぶ形になっており、現行の両リーグ各1人選出制となったのは翌年から。

ウィリー・ジョーンズ

Ken Boyer: 1947年~1961年
通算守備防御点 -22 : 守備防御点リーグ1位 1回
ReferenceFanGraphs

刺殺数にて7回、守備率にて6回、補殺数にて2回リーグトップとなり、キャリア当初には「パイ・トレーナー2世」と呼ばれたほどのプレーヤー。

現役中は何故か異常にパイ・トレーナーと比較されることが多く、私にも理由はよく分かりません。

他にフランク・マルゾーンジョージ・ケルも候補に上がりました。

1960年代

ブルックス・ロビンソン

Brooks Robinson:1955年~1977年:GG賞 16回
通算守備防御点 293 : 守備防御点リーグ1位 5回
ReferenceFanGraphs

15年以上にも渡り規格外の守備成績を残し続けたバケモノであり、野球史上最も偉大なディフェンシブ・サードであることに異論の余地無し。

ショートのオジー・スミスやセカンドのビル・マゼロスキーなど華麗な守備を見せたレジェンドらとは異なり「人間掃除機」のニックネームらしく地べたに這いつくばるような泥臭い守備が身上で、ポストシーズンやオールスターなど大舞台ではレギュラーシーズン以上のパフォーマンスを発揮した点も見逃せません。

また、ゴールドグラブ賞は有権者の勝手なイメージに大きく左右され誤った選出が後を絶ちませんが、ロビンソンは守備防御点にてリーグ1位が8回、2位が7回あるわけですから16度の受賞は真っ当な評価と言っても過言ではありません。

他の候補選手

クリート・ボイヤー

Clete Boyer:1955年~1971年:GG賞 1回
通算守備防御点 163 : 守備防御点リーグ1位 5回
ReferenceFanGraphs

ブルックス・ロビンソンの項にて「16度のGG賞受賞は真っ当な評価と言っても過言ではない。」と記しましたが。1960年代前半に限ればこのボイヤーがロビンソンを上回っていたかもしれません。

1試合当り及び1イニング当りのシーズンRFで20世紀後半最高の数字を叩き出し、レギュラー定着2年目の1961年(24歳)の時点でパイ・トレーナーが「史上最高のサード守備」と称したほどで、同年にはブルックス・ロビンソンも「現役最高の守備型サードだ。彼ほど素早いハンドリングを見たことがないし、プレーするたびに何か特別なことを見せてくれる。イレギュラーな打球もまるでルーティンゴロのように捌いてしまう。」とボイヤーを絶賛しています。

結局のところボイヤーがロビンソンを抑えてALのゴールドグラブ賞を受賞することはありませんでしたが、30歳でヤンキースからブレーブスに移籍するとMLBキャリア晩年に1度だけ同賞にを受賞。

さらに、35歳から大洋ホエールズで助っ人外国として4年間プレーし、創設されたばかりのゴールデングラブ賞(当時はダイヤモンドグラブ賞)を2度受賞しています。

ロン・サント

Ron Santo:1960年~1974年:GG賞 5回
通算守備防御点 27 : 守備防御点リーグ1位 4回
ReferenceFanGraphs

糖尿病を患いながらもフルシーズン休むことなくプレーを続け、攻守に渡りハイレベルな成績を残した1960年代最高のサード。

ほぼフル出場を続けていたため単純に守備機会が多く守備防御点にて4回、RF・補殺数・刺殺数にて7回、併殺数にて6回リーグトップとなり、ケン・ボイヤーと入れ替わる形でゴールドグラブ賞を5年連続受賞。

糖尿病のためか30歳以降に急速な衰えを見せましたが、健康体であれば積上系指標でブルックス・ロビンソンやエイドリアン・ベルトレー級の数字を残していたかもしれません。

1970年代

グレイグ・ネトルズ

Graig Nettles:1967年~1988年:GG賞 2回
通算守備防御点 134 : 守備防御点リーグ1位 3回
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ヤンキースの先輩クリート・ボイヤーと同じくブルックス・ロビンソンの壁に阻まれキャリア前半はゴールドグラブ賞の栄誉に輝くことはありませんでした、33歳で初受賞を果たすと同年からヤンキースがWSを2連覇。特にスーパープレーを連発した1978年WSでのパフォーマンスは今でも語り草となっています。

ホームラン王のタイトルを獲得し通算390本塁打を記録するなど守備だけでなく長打力も一級品で、43歳までサードのレギュラーを務めたように選手寿命の長さも特筆すべき点。rWARとfWARの両方で通算65を超えているので、個人的には将来殿堂入りすると信じています。

他の候補選手

アウレリオ・ロドリゲス

Aurelio Rodriguez:1967年~1983年:GG賞 1回
通算守備防御点 86 : 守備防御点リーグ1位 1回
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第2次世界大戦前と異なりサードにある程度の打撃力が求められていた時代、ショート級の貧打と一級品のサード守備を武器に2000試合以上出場を果たした稀有な選手。

1976年にブルックス・ロビンソンの17年連続ゴールドグラブ賞を拒んだのもグレイグ・ネトルズではなくこのロドリゲスでした。

MLBで長年に渡りプレーした数少ないメキシコ出身選手の1人であり、2000年に交通事故で死去した際にはメキシコ大統領も含む数千人が葬儀に参列しています。

1980年代

マイク・シュミット

Mike Schmidt:1972年~1989年:GG賞 10回
通算守備防御点 129 : 守備防御点リーグ1位 7回
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1970~1980年代の球界No.1プレーヤーとして活躍した史上最高のサードで、ゴールドグラブ賞を10度受賞(歴代2位)するほどの守備の名手でもありました。

また、キャリア序盤はシーズン29盗塁を記録するなど走塁も優れており、シュミットほどハイレベルなサードのオールラウンダーは思いつきません。

Youtubeで現役時代の試合を視聴していると偶然にもエラーを目にすることが多いので、個人的にはイメージが良くありませんけどね。

他の候補選手

バディ・ベル

Buddy Bell:1972年~1989年:GG賞 6回
通算守備防御点 167: 守備防御点リーグ1位 4回
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マイナリーグ時代セカンドからサードへコンバートされるも、MLBデビュー時にグレイグ・ネトルズがチームメイトにいたため1年目をセンター/ライトとしてプレー。ネトルズのヤンキース移籍により2年目からサードに戻ると早々と好守を披露しASにも選出されました。

若くしてMLBに定着したにも拘わらずブルックス・ロビンソン、アウレリオ・ロドリゲス、クレイグ・ネトルズの名手3人にゴールドグラブ賞を奪われ続け、初受賞が8年目・28歳時と遅れたもののその年から6年連続で同賞を獲得。

通算守備防御点はブルックス・ロビンソンとエイドリアン・ベルトレに次ぐ歴代3位の数字となっています。

ゲーリー・ガイエティ

Gary Gaetti:1981年~2000年:GG賞 回
通算守備防御点 132: 守備防御点リーグ1位 5回
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バディ・ベル時代の終焉と共にゴールドグラブ賞を4年連続受賞。全盛期は派手なサード守備だけでなくバッティングにも優れ、ウェイド・ボックスを抑えリーグ最高のサードと称されたこともありました。

ゴールドグラブ賞4年連続受賞中に膝の手術を受けバッティングが一気に劣化したにも拘わらず守備力には大きな影響が無かったことが個人的に興味深いのですが、同時期に突如クリスチャンに改宗しそれまでの粗暴なライフスタイル(酒やタバコ)を改めたことが長い選手寿命へ繋がったのかもしれません。

1990年代

ロビン・ベンチュラ

Robin Ventura:1989年~2004年:GG賞 6回
通算守備防御点 158 : 守備防御点リーグ1位 4回
ReferenceFanGraphs

ホワイトソックス監督時代の采配やノーラン・ライアンとの乱闘によりネタ扱いされることが多い野球人ですが、選手としてはステロイド時代に攻守で好成績を残し1990年代の最も過小評価された1人となっています。

大学及びマイナーリーグ時代はエラーを量産していたものの守備範囲を高く評価され、MLB定着2年目にはゲーリー・ガイエティを抑えゴールドグラブ賞を初受賞。その後は更にホワイトソックスにて4回、メッツ移籍後に1回受賞を果たし、史上初めて両リーグでゴールドグラブ賞を受賞したサードとなりました。

他の候補選手

マット・ウィリアムズ

Matt Williams:1987年~2003年:GG賞 4回
通算守備防御点 94 : 守備防御点リーグ1位 2回
ReferenceFanGraphs

90年代のNLのゴールドグラブ賞はウィリアムズと強肩で鳴らしたケン・カミニティがしのぎを削りましたが、意外にもカミニティの守備成績が平気未満だったためウィリアムズを選出。

本記事にて取り上げる選手の中で唯一ステロイドを使用していた可能性が高い選手ですが、ドーピングが守備力にどのような影響をもたらすかは判断が難しいところ。

2000年代

エイドリアン・ベルトレ

Adrian Beltre:1998年~2018年:GG賞 5回
通算 TZR 17 :  DRS 200: UZR 179.0
ReferenceFanGraphs
Savant

DRSとUZRで断トツの数字を残した現代守備指標の申し子。

ブルックス・ロビンソン以降最高のサード守備の持ち主ですが、RFや守備率でリーグトップに輝いたのはたった1シーズンのみで、旧式の守備指標があまり当てにならないことを証明した選手の1人でもあります。

他の候補選手

スコット・ローレン

Scott Rolen:1996年~2012年:GG賞 8回
通算 TZR 54 (46) :  DRS 114: UZR 107.1
ReferenceFanGraphs

マット・ウィリアムズ=ケン・カミニティ時代以降にNLの頂点に君臨した名手ですが、案外スぺ体質のため大きな故障無く過ごしたシーズンにゴールドグラブ賞を受賞していた感じ。

スぺ体質のため旧式の積上系指標は伸びませんでしたがrWARとfWARを70前後も稼ぎ出しているため、2018年に殿堂入り投票の対象になって以降は順調に得票率を伸ばしており、2023年か遅くとも2024年には殿堂入りを果たすことでしょう。

エリック・チャベス

Eric Chavez:1998年~2014年:GG賞 6回
通算 TZR 4(2) :  DRS 36: UZR 35.4
ReferenceFanGraphs

守備指標の存在を知るまでALの名手と言えばチャベスでしたが、実際に守備成績も安定してリーグ上位を争っていたようです。

ただ、度重なる故障により30歳を目前にして平均レベルまで急落し、同世代のエイドリアン・ベルトレとは対照的なキャリアに。

2010年代

ノーラン・アレナド

Nolan Arenado:2013年~:GG賞 9回
通算 DRS 136: UZR 62.2
ReferenceFanGraphs
Savant

高校時代はショートでプレーするもドラフト時に「キャッチャーが向いている」とのスカウト評を受け、シングルA時代は「身体能力に欠け最終的にファースト落ちする可能性も」と評されていましたが(実際にROK~A時代は守備成績もマイナス)、体重を減らし身軽になるとAA~AAAでにおける守備成績が異次元の数字まで向上

プロスペクト評価が守備の急成長に追いつかずMLBデビュー時点でも打撃型サードと目されていたものの、蓋を開けてみれば本当にマイク・シュミット2世でしたね。

また、DRSとUZRの間に大きな乖離があるタイプの選手ですが、OAAやFRAAなど他の守備指標の数字を見る限りでは、DRSの方が実力をより反映しているような気がします。

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