ニグロリーグ歴代選手ランキング:Top20

私の独断と偏見でニグロリーグ(黒人リーグ)の歴代選手を第20位までランク付けしました。

基本的にニグロリーグをメインとしてプレーした選手を対象としジャッキー・ロビンソンやロイ・キャンパネラ、ラリー・ドビー、ミニー・ミノーソ、ドン・ニューカムのような選手は含めていません。



20位レオン・デイ

1916年生:175cm・77kg:右投先発
1934年~1946年:SeamheadsBaseball Reference

ニグロリーグ後期屈指の好投手として活躍した一方で、野手としても平均以上の成績を残したニグロリーグのボブ・カラザーズ

ニグロリーグの名選手の中でも特段若くして上位に上り詰めた選手ですが、故障や第2次世界大戦従軍により大戦後の20代後半になる頃にはピークから大きく転落。1951年に34歳でセントルイス・ブランズ傘下のマイナリーグ球団でプレーしたものの、MLB昇格を果たすことはできませんでした。(実際に本人もMLBでプレーする気はなかった。)

選手特徴・プレースタイル

球速に欠けるものの非常にコンパクトなフォームからカーブ、チェンジアップをコントロール良く投げ込んだ技巧派投手。ただ、技巧派投手とはいえ所属リーグ(ニグロ・ナショナル・リーグ)やプエルトリコ・リーグの奪三振記録を樹立するなど打たせて取るタイプではなかった模様。

また、ノーウインドアップ投法の使い手でピックオフなども優秀だったとのこと。



19位:ジャッド・ウィルソン

1896年生:173cm・88kg:右投左打:サード
1922年~1945年:SeamheadsBaseball Reference

ニグロリーグにおいて強打のバッターが異常に少ないサードの中でも唯一トップクラスの打撃成績を残した稀有な選手。

第1次世界大戦従軍などを理由にニグロリーグ入りが遅れたものの50歳近くになるまで活躍。デッドボールによる骨折やチームバスの事故による故障などアクシデントに苦しめられることも多かったもののm通算打率はジョシュ・ギブソンに次ぐ歴代2位(集計によっては歴代1位)の数字。とりわけデビュー最初の10年間では打率.390という驚異的な成績(Seamheads集計)を残しています。

また、キューバ・リーグでも2度の首位打者に。

選手特徴・プレースタイル

温厚で朗らかな選手の多いニグロリーグにおいて筋金入りの短気・喧嘩屋として名を馳せた超が付くほどの問題児。その気性の荒さから審判や相手チームの選手と様々な問題を起こしただけでなく、自チームの監督やチームメイトの言うこともほとんど聞かない自己中心的かつ頑固な性格。もちろん警察沙汰を起こすこともしばしば。

また、低身長ながらも上下半身共にガッシリとしたマッチョな体格。強打のバッティングとは対照的に守備力の評価は低く、実際にキャリアの約半分はファーストしてプレーしています。



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18位:ヒルトン・スミス

1907年生:188cm・81kg:右投先発
1932年~1948年:SeamheadsBaseball Reference

1937年・30歳でカンザスシティ・モナークズに入団すると、ニグロリーグから離れ中南米(ドミニカ、プエルトリコ、メキシコ等)でプレーしていたサチェル・ペイジに代わりニグロリーグNo.1ピッチャーの座を獲得。

ニグロリーグ定着が非常に遅かっただけでなく30代中盤に腕の故障と第2次世界大戦従軍が重なったことにより通算成績は伸びなかったものの、その太く短い活躍を評価され2001年には殿堂入りも果たしました。

選手特徴・プレースタイル

オーバースローとサイドスローを使い分け、球界最高とも言われた魔球カーブを武器に。本人曰くその中でも変化量大小2種類のカーブがあり、変化量が小さいほうのカーブは後のスライダーであったとのこと。

リリーフ登板の割合の高さも特徴的か。



第17位:ピート・ヒル

1882年生:175cm・77kg:右投左打:センター
1905年~1925年:SeamheadsBaseball Reference

同時代にMLBで活躍していたタイ・カッブやトリス・スピーカーと比較された好守好打のセンター。オスカー・チャールストンのデビューまでニグロリーグ最高の外野手として君臨し、1911年にはシーズン出場116試合中115試合でヒットを放ったとのエピソードも。

選手特徴・プレースタイル

デッドボール時代にプレーしたため長打数こそ少ないものの、同時代の選手と比較すればホームラン数・長打率等はニグロリーグ界のトップを競う強打者。また、守備走塁でもトップクラスの実力を誇り、カッブやスピーカとの比較にも納得がいくようなオールラウンドプレーヤーでした。

短気な性格が玉に瑕。



第16位:ビル・フォスター

1904年生:185cm・88kg:左投先発
1923年~1937年:SeamheadsBaseball Reference

ニグロリーグの父であるルーブ・フォスターの継兄弟。ルーブ・フォスターもニグロリーグ誕生前~創成期のNo.1投手として活躍した名選手ですが、ビル・フォスターはそのルーブを上回るパフォーマンスを披露。1920年代ニグロリーグにおいてバレット・ジョー・ローガンと1・2位を争う投球内容を見せ、ビル・ジェームズにはニグロリーグ年間最優秀投手に3度も選ばれています。

また、オールスターゲーム(1933年)ではサチェル・ペイジ、ジョシュ・ギブソン、オスカー・チャールストンなどのスーパースターを抑え最多得票数を獲得するほどの人気選手でもあり、先発投手を務めたフォスターはオールスターゲームで唯一となる完投勝利も記録。

また、現役時代にニグロリーグと並行してアルコーン州立大学に通い学士号を獲得。引退後には同大学の学部長となり野球部のコーチにも就任。

選手特徴・プレースタイル

オーバースローに時折サイドスローを織り交ぜながらスピードのある速球とカーブ&チェンジアップを投げ込み、衰えこそ早かったものの故障などは少ない頑丈なピッチャー。

異論はあるでしょうが私はフォスターがNo.1左腕だったと思います。



第15位:ミュール・サトルズ

1901年生:188cm・97kg:右投右打:ファースト
1923年~1944年:SeamheadsBaseball Reference

ニグロリーグ界最高のホームランバッターも一人としてジョシュ・ギブソン時代以前に一時代を築いたパワーヒッター。

詳しい経歴については以下の記事に書いいるのでどうぞ。

ミュール・サトルズ:ニグロリーグ・レジェンド選手紹介



第14位:ビズ・マッキー

1897年生:183cm・90kg:右投両打:キャッチャー
1920年~1947年:SeamheadsBaseball Reference

誰もがニグロリーグ最高の守備型キャッチャーとして認める20世紀前半のイバン・ロドリゲス。

1930年代は平均~平均未満レベルの打撃成績を残しているもの、1920年代はシーズン打率.400以上を記録し首位打者のタイトルも獲得するなど攻守を兼ね備えた球界最高のキャッチャーとしての地位を築きました。

その名声はバッティングの衰えが進んだ1930年代以降も色褪せることはなく、全盛期のジョシュ・ギブソンを抑えオールスターゲームの正捕手に選ばれたことも。

高い野球IQとリーダーシップだけでなく面倒見の良い温厚な性格から監督・指導者としても多大な貢献を残した人物で、キャリア晩年にニグロリーグ時代のロイ・キャンパネラの指南役を務めたことでも有名ですね。

選手特徴・プレースタイル

対戦相手の徹底的な研究分析を経たリード、俊敏なブロッキングとフィールディング、正確な送球を兼ね備えキャッチャー守備の理想を体現化した選手。100年近く前の選手にもかかわらず「フレーミングにより審判からストライクを引き出す達人であった。」との記述もあります。

また、キャッチャーだけでなくショートやセカンド、サードでプレーする機会も多く、キャッチャーとしては非常にアスレチックな選手だったのでしょう。



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第13位:クール・パパ・ベル

1903年生:183cm・70kg:左投両打:センター
1922年~1946年:SeamheadsBaseball Reference

史上最高の選手として数々の伝説を残したスーパースター。セントルイス・スターズやピッツバーグ・クロフォーズなどの強豪チームにおいて長年にわたりリードオフマンを務め、40歳を超えてもなお好成績を残した息の長い選手でもありました。

19歳の時に二刀流としてセントルイス・スターズでデビュー。投手としてはいたって平均レベルの成績を残す一方でバッティングはイマイチでしたが、腕の故障によりセンターにコンバートされると野手として才能が開花。

好守のリードオフマンとして上記の通り強豪チームを渡り歩き、キャリア晩年にはメキシカン・リーグで三冠王にも輝いています。

選手特徴・プレースタイル

キャリアの途中で右打者からスイッチヒッターに転向するも、それ以降にキャリアのどこかのタイミングでスイッチヒッターを辞めるなど流動的。

パワーに欠けるもの俊足を生かし高い打率を残すイチローのような安打製造機タイプと評価されていますが、他のスター選手と比べるとその打率も大した数字ではなくニグロリーグ上位のバッターとは言えない存在。

その伝説的な俊足と投手としても活躍した強肩を生かしたセンター守備も超一流だったと伝えられていますが、残っている記録の中では守備成績も平均未満。全体的に世間的な知名度&選手評価と実際の成績に乖離がある選手なのは確かで、最近はもっぱらルー・ブロックと同等程度との評価が増えています。もしかすればこの順位でも高すぎるのかもしれませんね。



第12位:モンテ・アービン

1919年生:185cm・88kg:右投右打:センター
1938年~1957年:SeamheadsBaseball Reference

高校時代は野球、アメフト、バスケ、陸上の4つのスポーツを掛け持ちしやり投げでニュージャージー州記録を樹立。全米屈指の高校生アスリートとして16の大学から奨学金のオファーを受けましたが、高校卒業後に大学へ進学せずニグロリーグのニューアーク・イーグルスへ入団。

その後は1943年~1945年の従軍による空白期間を挟みながら1940年代ニグロリーグNo.1の地位を築き、1949年・30歳でニューヨーク・ジャイアンツからMLBデビューも果たしました。

MLBでは年齢的にピークを過ぎていたものの1951年にはMVP投票で3位に入るなど活躍。もし、1952年の足首骨折(スライディング時)が無ければ通算成績はさらに伸びていたことでしょう。

選手特徴・プレースタイル

ニグロリーグ時代はショートとセンターという2大プライマリー・ポジションでプレーしたものの、MLBではレフトとして起用されると好守を披露。恐らく1940年代の野球選手の中でも最も身体能力が高い選手であったのではないでしょうか。



第11位:ウィリー・ウェルズ

1905年生:175cm・77kg:右投右打:ショート
1924年~1948年:SeamheadsBaseball Reference

ジョン・ヘンリー・ポップ・ロイドと入れ替わる形でニグロリーグ後期のNo.1ショートとして活躍した同リーグ史に残るスーパースター。

若干18歳で強豪セントルイス・スターズの遊撃手レギュラーとして定着すると、スターズの本拠地スターズ・パーク(レフトフェンスまでの距離が短く右打者有利)の恩恵を受けホームランを連発。Seamheads上では1927年~1929年にかけて3年連続でニグロ・ナショナル・リーグのホームラン王に輝いており、シーズン本塁打記録の2位~4位をその期間のウェルズが占めています。(1位は1926年のミュール・サトルズ)

キャリアのほぼ全期間を通してショートとしてプレーした点も印象的。また、

選手特徴・プレースタイル

ショートとして打撃力はポップ・ロイド以上。バッティング以外でも毎年のように盗塁数でリーグ上に入りショート守備も優秀。

また、MLBでバッティング・ヘルメットが義務化される前から建設作業員用のヘルメットを被りバッターボックスに立ったこエピソードも有名。

コメント

  1. トムヨー君 より:

    最近の黒人ってなんで野球やらなくなったの?

  2. 匿名 より:

    議論の価値じゃなくて議論の余地じゃねw