
10年近く前に旧ブログで投稿した本記事ですが、現ブログに移行した際にフォーマット等が崩れてしまったため、再投稿したいと思います。
他の当企画記事もそうですが、ある球速を計測したという事実をまとめ上げているだけであって、計測装置の仕様や精度、記録の信憑性について詳しく論じるつもりはありませんから悪しからず。
目次
シーズン別球速記録
| 西暦 | 年齢 | 最速記録 |
平均球速 |
||
| mph | km/h | mph | km/h | ||
| 1974 | 27 | 100.9 | 162.4 | ||
| 1975 | 28 | 95 | 152.9 | ||
| 1976 | 29 | 98 | 157.7 | ||
| 1977 | 30 | 97 | 156.1 | ||
| 1978 | 31 | 96 | 154.5 | ||
| 1979 | 32 | 98 | 157.7 | ||
| 1980 | 33 | 99 | 159.3 | 95.1 | 153.0 |
| 1981 | 34 | 99 | 159.3 | 95.0 | 152.9 |
| 1982 | 35 | 99 | 159.3 | 94.9 | 152.7 |
| 1983 | 36 | 99 | 159.3 | 94.7 | 152.4 |
| 1984 | 37 | 99 | 159.3 | 94.5 | 152.1 |
| 1985 | 38 | 100 | 160.9 | 94.1 | 151.4 |
| 1986 | 39 | 99 | 159.3 | 93.5 | 150.5 |
| 1987 | 40 | 98 | 157.7 | 93.3 | 150.2 |
| 1988 | 41 | 98 | 157.7 | 93.2 | 150.0 |
| 1989 | 42 | 99 | 159.3 | ||
| 1990 | 43 | 96 | 154.5 | ||
| 1991 | 44 | 97 | 156.1 | ||
| 1992 | 45 | 97 | 156.1 | ||
| 1993 | 46 | 97 | 156.1 | ||
| 1994 | 47 | ||||
| 1995 | 48 | 85 | 136.8 | ||
※1995年:AS戦(TEX開催)の始球式
※平均球速はHOU本拠地(Astrodome)での計測記録
年度別”最高”球速

年度別”平均”球速

その他記録と注釈
シーズン別球速記録表に採用しなかったものや、余りにもハチャメチャな記録、さらに採用した記録についての注釈を参考として記しておきます。
1974年の100.9 mph
1974年シーズン後半、奪三振王かつ球界最速ピッチャーとして君臨していたRyanに対し、軍需企業Rockwell Internationalのレーダー式測定マシンによって、その球速を計測する企画が行われました。
対象となったのは8月20日のDET戦と9月7日のCWS戦。
マシンの仕様上、計測はホームベースの手前地点で行われ(つまり終速に近い値を計測)、
- 8月20日DET戦では、Max 100.9 mphを含む3度の100+ mph
- 9月7日CWS戦では、Max 100.8 mphを含む4度の100+ mph
を計測しています。
2試合のイニング毎の計測記録は下記の通り。
(8月20日においては、100 mphを計測したイニング以外は不明。)
| Inning | 8/20 | 9/7 |
| 1 | 100.9 | 87.6 |
| 2 | – | 93.4 |
| 3 | – | 94.1 |
| 4 | 100.1 | 98.8 |
| 5 | – | 96.4 |
| 6 | – | 91.3 |
| 7 | 100.0 | 96.7 |
| 8 | – | 94.1 |
| 9 | – | 100.8 |
※8月20日は延長戦11回まで投げ切っていますが、延長戦中の記録は不明。
大企業Rockwell Internationalのマシンとは言っても、測定精度は著しく悪く、そもそもホームベースの中央部分1/3しか測定できない(カバーしていない)というお粗末な仕様。
当然ながら、終速が100 mphを上回るわけがなく、デタラメとしか言いようがない無茶苦茶な数字ですが、愚かにもギネス社が長らく世界記録と認定していたことで図らずも有名に。
また、最近は初速に換算すると約107~109 mphとなることが話題となり、Pitching Ninjaや自称有識者達、ドキュメンタリー作品が面白可笑しく取り上げたおかげで、一部のファンがこの数字を本当に真に受けている模様。
とは言っても、「Ryanの最速記録と言えば100.9 mph」といった具合に、Ryanの代名詞とも言えるような形になっているので、特別にシーズン別球速記録表へ組み込みました。
まあ、そもそもRyanが現役時代のスピードガンの測定精度にケチを付け始めたらキリがないから…。
1976年の108 mph
NBC TVの報道陣がある試合中継で報じた記録で、108 mphを計測した試合では9回にも102 mphを叩き出した模様。
1975~1976年頃の104 mph
同時期に早くもレーダーガンを導入(球速計測にドハマり)していたUT Austinの監督Cliff Gustafsonによると(1976年4月のインタビュー)、Ryanの最速記録は104 mph。
ただ、誰が何処で如何なる方法にて計測したかは不明。
1977年STの100+ mph
1977年の春季キャンプ中のインタビューにおいて、BAL傘下AAチームCharlotte O’sの監督を務めるJim Schafferが「Nolan RyanとFrank Tananaの2人が100 mph以上を計測した。」と語っています。
NYYとBALのST戦において、NYYのスタッフがハンディ式レーダーガンで球速を計っており、その際にSchafferがNYYのスタッフからBALや他チームの計測記録を教えてもらった模様。
CharlotteはFLですから、SchafferもBALのSTに帯同していたわけですね。
ちなみに、Schafferは加えて「RyanのCHは86 mphを計測した。Catfish Hunterの速球と同じ速度だ。」とも語っています。
1977年頃の100 mph
1977年5月の報道によると、TEXのレーダーガンにて100 mphを計測。
これはTEXが計測した中で最速とのこと。
ただ、1977年シーズンにおいて、Ryanは6月までTEXと対戦しておらず、恐らく1976年に計測したものと考えられます。
ドジャー・スタジアムでの102 mph
スピードガン計測が自動化されるまでドジャー・スタジアムで1979年から20年間に渡りスピードガンのオペレーターを務めたLADの名物スカウトMike Brito。
彼が2007年のインタビューにおいて「私が100 mph超を計測したピッチャーはNolan RyanとJ.R. Richardの2人のみ。Ryanは102 mphと101 mph、Richardは101 mphを計測した。」と語っています。
JUGS Gun最速記録の104 mph
かつてスピードガンの大手メーカーとして有名だったJUGS社。
他社製のスピードガンと比べ、より速い値(初速に近い)を叩き出すことで、”Fast Gun”として球界に論争を巻き起こした曰く付きのメーカーです。
1995年に読者から最速記録を知りたいとの質問を受けたBaltimore Sun紙がJUGS社営業部長に取材を行い、「当社製品が計測した最速記録はNolan Ryanの104 mph」と回答しています。
JUGS Gun計測の103 mph
1989年にMiami Herald紙が、TV局によって運用しているスピードガンのメーカーが異なることを取り上げており、その中で「過去にNolan RyanはJUGS Gunで103 mphを計測した。」と記しています。
109 mph
1987年にTom HenkeがJUGS Gunで102 mphを計測した際、チームメイトのJohn Ceruttiから「Nolan Ryanは109 mphを計測したことがある。」と教えられ、「I’ve got a way to go(まだ先は長い)」と冗談交じりにコメント。
恐らくCeruttiは有名な1974年の100.9 mphを109 mphと勘違いしていたのでしょう。