11~20位:ヤンキース歴代選手ランキングTop30

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15位:ホルヘ・ポサダ

1995年~2011年:キャッチャー:rWAR=42.8、fWAR=44.7
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キャッチャーとしてMLBトップクラスの打撃力とワーストクラスの守備を有した「コア・フォー」の最弱選手。

元々は内野手としてドラフト下位順位で指名されますがマイナー時代にキャッチャーへコンバート。ジョー・ジラルディの代わりとしてレギュラーに定着し、レギュラー1年目からWSを3連覇。30代中盤まで活躍を続け2007年(35歳)にはキャッチャー歴代10位となるシーズンwRC+157を記録するなど安定して毎年のようにwRC+125前後の数字を残しました。

ただ、守備は今のゲリー・サンチェスのようにド下手。同時代に強打拙守の捕手としてプレーしたマイク・ピアッザは実際にはフレーミングが一流で守備力の再評価が行われていますが、このポサダはフレーミングも下手でした。

背番号20が2015年に永久欠番に。


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14位:レッド・ラフィング

1930年~1946年:先発:rWAR=57.4、fWAR=55.0
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チーム史上最高の右投先発投手。

元々はライバルのレッドソックスの選手でしたが成績は2流。しかし、1930年(25歳)のシーズン途中にヤンキースに移籍すると突如成績が向上。最終的に1946年(41歳)までヤンキースで先発投手として活躍しました。

飛び抜けた成績を残したシーズンはありませんが毎年のようにERA+120前後を記録。第2次世界大戦従軍により2シーズン半を失うことがなければ通算300勝を達成していたでしょう。

また、投手としては非常有数の打撃力を有した選手であり、ヤンキースでは通算wRC+84、31本塁打を記録。打者としての通算WARはMLBの歴代投手でNo.1の数字です。


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13位:ウィリー・ランドルフ

1976年~1988年:セカンド:rWAR=54.0、fWAR=51.4
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当時は成績の見栄えが微妙で実力通りの評価を受けていませんでしたが、今見ると高い出塁率、シーズン30盗塁を4回記録した走塁、当時MLBトップクラスだったセカンド守備を持ち合わせた非常に優秀な選手。

引退後はヤンキーのコーチを11年間務め、監督候補にも挙がりました。


12位:サーマン・マンソン

1969年~1979年:キャッチャー:rWAR=41.9、fWAR=40.9
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1968年のドラフトで全体4巡目で指名されると1970年には正捕手となり新人王を受賞。1976年にMVPを獲得、1977年~1978年にWS優勝、1973年~1975年にGG賞を受賞するなど順調なキャリアを歩みました。

しかし、1979の8月にプライベートジェットが墜落し若干32歳で死去。背番号15は永久欠番となっています。

もし飛行機事故がなければどれほどの通算成績を残していたかは今でも議論になるところ。死亡時点では殿堂入りペースの活躍を見せていましたが、実際には30歳を超えて背中や腕の怪我が増え始めており1978年~1979年の成績を考えると殿堂入り出来ていたかは微妙。

また、高いリーダーシップと怪我をしてでも出場する献身性とは反対的にNYメディア、ジョージ・スタインブレナー、レジー・ジャクソン、カールトン・フィスクらなどと対立するなど良くも悪くもカラフルなキャラクターの選手でした。


11位:アンディ・ペティット

1995年~2003年、2007年~2010年、2012年~2013年:先発:rWAR=51.4、fWAR=57.8
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HOUへの移籍、一時引退を挟んでヤンキースでは15シーズンでプレーしてそのうち13シーズンで規定投球回に到達。安定感が売りの投手であり、エースピッチャーというよりは無茶苦茶優秀な先発2番手投手。

通算19勝、276.2イニングなど様々なPS記録を保持しており、1998年~2000年のWS3連覇時にはPSで11試合に先発。その内チームが負けたのはたった1試合。8回途中までペティットが投げて残りをリベラが抑えるのが一種の様式美となりました。2009年PSでの好投も記憶に新しいところ。もちろん背番号46は永久欠番。

唯一のマイナスポイントはヒト成長ホルモン(禁止薬物)の使用ぐらいでしょうか。

コメント

  1. 土屋 勇治 より:

    自分が大リーグに興味を持ち始めた80年代中頃のヤンキースの新たなるスターがマッティングリーでしたからね。今でいうトラウトの位置付けで球界最高のプレイヤーと謳われていて84年から89年の6年間の全盛期は殿堂入り間違いなしと言われていましたが…背中を悪くして長打力をなくさなければ、チームが暗黒期でなければ、34歳の若さで引退しなければ(引退した翌年から帝国復活)
    ジーターより上のトップ5に入ってたでしょうね。

    • 管理人 より:

      あんまりチーム成績は考慮してないです。

      • 土屋 勇治 より:

        マッティングリーの時代は投でギドリー、リゲッティ。打では彼、リッキー、ウィンフィールドと良い選手が揃っていて80年代最多勝利を挙げていたけど、スタインブレナーの口出し、ガラの悪いファン、煩いマスコミ、スタジアム周辺の治安の悪さでカオスの状況でしたからね。マッティングリーは故障しなければ400本・3000安打はクリアできたでしょうね。