第31位:ウェイド・ボッグス
↓成績
1958年に生まれたボッグスは、
1982年~1999年の18年間、BOSとNYYとTBでプレーしました。
1982年~1999年の18年間、BOSとNYYとTBでプレーしました。
ポジションはサード。
あだ名は「チキン・マン」でした。
あだ名は「チキン・マン」でした。
通算で、
打率328、出塁率415、3010安打を記録。
シーズン成績でも、
首位打者5回、SS賞8回、出塁率1位6回、OPSトップ2回、WARトップ3回、AS選出12回を記録しました。
打率328、出塁率415、3010安打を記録。
シーズン成績でも、
首位打者5回、SS賞8回、出塁率1位6回、OPSトップ2回、WARトップ3回、AS選出12回を記録しました。
高校生でドラフトされ入団しましたが、マイナーで6年プレーしてデビューは23歳でした。
ちなみにマイナーでは2年目から5年連続で打率3割を記録しました。
ちなみにマイナーでは2年目から5年連続で打率3割を記録しました。
1年目に104試合(規定打席数には届きませんでした)で打率349を記録しました。
(この年の首位打者は打率332でした)
2年目に首位打者を獲得し、7年連続で200本安打を記録、
この7年間で首位打者は5回獲得して出塁率1位に6回なりました。
通算打率328は20世紀以降の三塁手では最高の成績です。
(この年の首位打者は打率332でした)
2年目に首位打者を獲得し、7年連続で200本安打を記録、
この7年間で首位打者は5回獲得して出塁率1位に6回なりました。
通算打率328は20世紀以降の三塁手では最高の成績です。
選球眼が抜群に良かった選手で、200安打&100四球を記録できる数少ない選手の1人で、
三振も少ないバッティング・コントロールに加え最高の選球眼を持つ厄介なバッターでした。
最近は四球の多さで評価が上がり、選手時代に比べられることの多かったT・グウィンより
高い評価を受けることが多くなっています。
三振も少ないバッティング・コントロールに加え最高の選球眼を持つ厄介なバッターでした。
最近は四球の多さで評価が上がり、選手時代に比べられることの多かったT・グウィンより
高い評価を受けることが多くなっています。
長打面では二塁打が多い選手で本塁打は2回しか二桁を記録していません。
ただ、1987年に本塁打を意識すると24本塁打を記録しました。
ただ、1987年に本塁打を意識すると24本塁打を記録しました。
守備は平均以上でGG賞を2回受賞しました。
高齢になっても平均以上のレベルをキープしていました。
走塁面では、ほとんど盗塁を記録していません。
高齢になっても平均以上のレベルをキープしていました。
走塁面では、ほとんど盗塁を記録していません。
BOSでは、1986年にWSに出場するも「ビル・バックナーのエラー」で敗退してしまい
WS優勝は経験できませんでした。
そして、1992年のシーズン終了後にライバルのNYYへ移籍しBOSファンに衝撃を与えました。
NYYでは5年間で打率313を記録するなどして活躍。
GG賞もNYYで獲得しています。
WS優勝は経験できませんでした。
そして、1992年のシーズン終了後にライバルのNYYへ移籍しBOSファンに衝撃を与えました。
NYYでは5年間で打率313を記録するなどして活躍。
GG賞もNYYで獲得しています。
そして、1996年のPSで悲願のWS優勝を果たしました。
(ボッグス本人はあまり活躍は出来ませんでした)
この優勝後の球場で馬に乗りファンの声援に応えたシーンは有名です。
(ボッグス本人はあまり活躍は出来ませんでした)
この優勝後の球場で馬に乗りファンの声援に応えたシーンは有名です。
ルーティーン信者で毎日鶏肉を食べることから「チキン・マン」と呼ばれました。
(鶏肉のほかにも同じ道を通るなども行った)
(鶏肉のほかにも同じ道を通るなども行った)
選球眼とバッティング・コントロールを兼ね備えた名三塁手でした!