第13位:ジミー・フォックス
↓成績
フォックスは1907年に生まれ、
1925年~1945年の20年間(1934年はプレー無し)を
主にPHA(現OAK)とBOSでプレーしました。
1925年~1945年の20年間(1934年はプレー無し)を
主にPHA(現OAK)とBOSでプレーしました。
あだ名は「Beast」=「ビースト」と「Double X」=「ダブル・X」
ポジションはファーストでした。
ポジションはファーストでした。
通算打率325、2646安打、534本塁打、1922打点、
歴代5位のOPS1.038を記録しました。
歴代5位のOPS1.038を記録しました。
シーズンで見ると、
MVP3回、三冠王1回、首位打者2回、本塁打王4回、打点王3回、
WARトップ3回、OPSトップ5回を記録しました。
MVP3回、三冠王1回、首位打者2回、本塁打王4回、打点王3回、
WARトップ3回、OPSトップ5回を記録しました。
当時最も恐れられた選手の1人で、驚異的なペースでホームランを
量産しました。最高の右打者の1人でもあります。
(右打者のベーブ・ルースとも呼ばれました)
量産しました。最高の右打者の1人でもあります。
(右打者のベーブ・ルースとも呼ばれました)
全盛期は打率350、50本塁打、160打点を記録し、
毎年30本塁打、100打点、打率330、OPS1.000を記録しました。
(当時でも驚異的な成績でした)
毎年30本塁打、100打点、打率330、OPS1.000を記録しました。
(当時でも驚異的な成績でした)
しかし、彼がプレーした球場は打者不利で、もし有利な球場でプレーすれば
もっと本塁打を打てたはずです。
(PHAの本拠地シャイブ・パークやBOSのフェン・ウェイは打者不利)
もっと本塁打を打てたはずです。
(PHAの本拠地シャイブ・パークやBOSのフェン・ウェイは打者不利)
それでも、32歳で500本塁打を記録(この記録はA・ロドリゲスに抜かれるまでメジャー記録)
ベーブ・ルースの本塁打記録更新の確立もありました。
ベーブ・ルースの本塁打記録更新の確立もありました。
ルースの記録更新を拒んだフォックス最大の汚点は飲酒でした。
恐らくアルコール中毒だったはずで、不眠症にも陥りました。
そのため30代前半で衰え始め、37歳で引退することになります。
恐らくアルコール中毒だったはずで、不眠症にも陥りました。
そのため30代前半で衰え始め、37歳で引退することになります。
短い期間でこれほどの成績を残したのは素晴らしいので、
ますます飲酒が後悔させられます。
ますます飲酒が後悔させられます。
彼は驚異的なパワーを持った打者でした。
シーズン58本塁打を記録し、500本塁打も軽々と超えたので
当然なのですが、ホームランの飛距離は今でも有名です。
シーズン58本塁打を記録し、500本塁打も軽々と超えたので
当然なのですが、ホームランの飛距離は今でも有名です。
ヤンキースのエースだったレフティ・ゴメスは特大本塁打を打たれ
フォックスを「ヤツは髪の毛まで筋肉でできている」と
いったほどでした。
フォックスを「ヤツは髪の毛まで筋肉でできている」と
いったほどでした。
当然、多くの特大ホームランを放ってます。
ヤンキースタジアムではレフトの観客席の屋根に当てており、
150m級のホームランを何本か記録したようです。
ヤンキースタジアムではレフトの観客席の屋根に当てており、
150m級のホームランを何本か記録したようです。
ちなみに、日本に来日した際に、神宮球場でも
場外ホームランを打っており推定飛距離は180mだそうです。
(恐らく150~160mぐらいでしょう)
場外ホームランを打っており推定飛距離は180mだそうです。
(恐らく150~160mぐらいでしょう)
全盛期に見せた打撃はルースやゲーリック級で、
飲酒がなければ10位以内に入っていたはずです。