イベント概要
”小ネタ”として今回取り上げるのは1938年に行われた人気選手の全国投票です。
これはコーンフレークの生みの親であり最王手のケロッグ社が行ったものので、恐らく同社が1937~1938年に開催し好評を博していた「ケロッグ野球教室」に絡ませた企画。
1938年7月から9月の9週間に渡り、1週ごとにそれぞれ各ポジションのお気に入り選手(Favorite Player)への投票を募集。ケロッグ社のコーンフレークの箱に付いているBOX TOPを2箱分を郵送することで1票と換算される形であり、投票者の中から毎週抽選で500ドル(現在の紙幣価値で1万ドル)・100ドル・50ドル・25ドルが1人ずつ、5ドルが1000人…合計で1004人に5575ドル…が当たるという太っ腹な内容。
当時すでにケロッグ社はアメリカ食品市場において一大勢力を築いており、同年には新たにイギリスで新工場を開設するなどヨーロッパ開拓も順調で、同企画も宣伝広告が東海岸か西海岸までアメリカ全土の新聞等に広告が掲載されるほど大規模なもので、正しく全国投票と呼ぶに相応しいものでした。
そして、最後に本投票イベントを何故取り上げたかについてですが、この時代に「選手として評価されていたのは誰か」を調べることは容易いものの、1935~1946年にかけてオールスターのメンバー選出が監督選出だったこともあり、「人気があったのは誰か?」を調べるのは意外にも至難の業。
そのため本投票イベントは当時の選手人気を測るにおいて非常に貴重なソースと呼べるものの、それにも拘らずアメリカ本国の野球史研究界隈でも取り上げられていなかったため、ポストシーズン終盤の暇なこの時期に触っておこうと思い立った次第。
誰得記事なのは自分でも分かってる。
投票結果
最終的に各ポジションの投票結果1位と2位(投手は1位~5位と6位~10位)がファースト・チーム及びセカンド・チームとして発表。
また、全ポジションの全上位選手の得票率が発表されることはなかったようですが、一部選手については下記の通り記事に記載がありました。
- チャーリー・ゲリンジャーの得票率は全ポジションで最高となる74%。
- ジョー・メドウィックの得票率は全ポジションで2位となる63%。
- ジョー・ディマジオの得票率は全ポジションで3位となる60%。
- キャッチャーで1位のビル・ディッキーと2位のギャビー・ハートネットの得票率差は5%。
- サードで1位のメル・オットと2位のスタン・ハックの得票率差は5%。
ちなみに、ファースト・チームのメンバーには賞品としてそれぞれ1台ずつ自動車がプレゼントされました。
ファースト・チーム
野手
ポジション | 選手名 | 所属 |
C | ビル・ディッキー | NYY |
1B | ルー・ゲーリッグ | NYY |
2B | チャーリー・ゲリンジャー | DET |
3B | メル・オット | NYG |
SS | ジョー・クローニン | BOS |
LF | ジョー・メドウィック | STL |
CF | ジョー・ディマジオ | NYY |
RF | ピート・フォックス | DET |
投手
ポジション | 選手名 | 所属 |
投手1位 | レッド・ラフィング | NYY |
投手2位 | カール・ハッベル | NYG |
投手3位 | ジョン・ヴァンダーミーア | CIN |
投手4位 | レフティ・グローブ | BOS |
投手5位 | トミー・ブリッジス | DET |
セカンド・チーム
野手
ポジション | 選手名 | 所属 |
C | ギャビー・ハートネット | CHC |
1B | ジミー・フォックス | BOS |
2B | ビリー・ハーマン | CHC |
3B | スタン・ハック | CHC |
SS | アーキー・ヴォーン | PIT |
LF | ジョニー・リゾー | PIT |
CF | アール・アヴェリル | CLE |
RF | ポール・ウェイナー | PIT |
投手
ポジション | 選手名 | 所属 |
投手6位 | レフティ・ゴーメッツ | NYY |
投手7位 | ボボ・ニューサム | SLB |
投手8位 | ディジー・ディーン | CHC |
投手9位 | ビリー・リー | CHC |
投手10位 | ボブ・フェラー | CLE |
解説と雑感
ベーブ・ルースの引退(1935年)とジョー・ディマジオの加入(1936年)を境に、第2の黄金時代を迎えワールドシリーズ4連覇の真っ只中だったヤンキースから最多の4人が1stチーム入り。
当時タイトル争いの常連かつMLB最高年俸のルー・ゲーリッグが球界最人気プレーヤーであったことは疑いようがありませんが、ファーストには2位のジミー・フォックスに加え同シーズン58本塁打を放つハンク・グリーンバーグも活躍していたためか、ファーストでの得票率はジョー・ディマジオらに及ばなかった模様。
そのジョー・ディマジオもまだMLB3年目・若干23歳であり、1stチームの野手の中では唯一の25歳以下。翌1939年にはゲーリッグの引退と初のMVP受賞が重なったことで、名実共に球界No.1スターの座へ上り詰めることとなります。
また、投手陣に目を向けるとレッド・ラフィングを初めに実績抜群のベテラン投手が並ぶ中で、同シーズンにおいて一大センセーションを巻き起こしていたフルシーズン1年目・若干23歳のジョン・ヴァンダーミーアがランクイン。
と言うのも、ヴァンダーミーアは6月に2試合連続”No-hit, No-run Game”達成の金字塔を打ち建て、オールスターでNLの先発投手を務めるなどディマジオ顔負けのスピードでスターダムをのし上がっていた最中であり、当該投票結果からもその熱狂ぶりが読み取れますね。
2ndチームではシカゴの選手が5人も選出されていますが、その5人全員がカブス所属。当時のカブスはチーム成績が良好で観客動員数もヤンキースに次ぐほどの人気チーム。反対にホワイトソックスはブラックソックズ事件をから長く続く低迷期の真っ只中におり、オールスターに1人でも選出されれば御の字の底辺状態だったわけですが、投票結果もライバル球団の格差を示しています。
投手10位には最年少・若干19歳のボブ・フェラー。同シーズン初の奪三振王に輝きますが、真のスター選手となるのは最多勝に輝きMVP3位となる翌シーズンのこと。