MLB歴代レジェンド選手のプロスペクト評価:第2弾



MLBの歴史上で最上位に位置するレジェンド級プレーヤー達について、彼らのプロスペクト時代の評価を記します。

1年前の記事の続編です。



21.Pedro Martinez

兄のRamon Martinezに続き16歳でLAD傘下に加入すると、DSL2シーズン&ROY1シーズンを経て、プロ4年目となる1991年(19歳)に大ブレイク。

High-A~AAAにかけてMiLB最上級の成績を残したことでMiLB最優秀投手に選ばれ、Baseball Americaの1992年ランキングでは第10位にランクイン。

ただ、1992年シーズンにAAAで少し躓いてしまったため、1993年ランキングでは62位にランクダウンしています。

現代プロスペクトとのComp:Sixto Sanchez

22.Rogers Hornsby

17歳の時にプロ球界へ足を踏み入れると、若干19歳で早くもMLBデビュー。

この流れだけを見るとトッププロスペクトだったように勘違いしてしまいそうですが、実際のところMiLB成績は芳しくなく、さほど話題になることもありませんでした。

しかし、MLB2年目となる1916年に肉体改造と打撃フォーム改良を行いブレイク。

現代プロスペクトとのComp:Carter Kieboom

23.Cy Young

セミプロで確固たる実績を残したうえでCleveland Spidersの先発ローテに定着していますが、流石に当時の情報には限りがあり、プロスペクト評価を導き出すのは困難。

24.Oscar Charleston

詳細なプロファイルを「オスカー・チャールストン:ニグロリーグ・レジェンド選手紹介(MLBレジェンド選手紹介番外編)」に記しているため、本項では説明を省略。

現代プロスペクトとのComp:Jo Adell

25.Tom Seaver

短期大学と南カリフォルニア大学での活躍を経て、1966年ドラフト1月フェーズにATLから全体20位指名を獲得。

しかし、高額な契約金を手にするはずだったものの、契約段階でルール違反をやらかし、最終的にはNYMへ入団。

1966年はそのままAAAでフルシーズンを過ごし、チームの奪三振シーズン記録を樹立するなどエースとして活躍すると、所属チーム監督は「NYM初の20勝投手となるだろう」と予言。

さらに、完封勝利を上げた際には対戦相手の監督も「今まで見た中で最高の若手投手」と絶賛。

当時のNYM傘下には205 IPでMiLB全体最多の313 Kを奪ったNolan Ryan(19歳)も高い評価を受けており、この2人を優劣を決めるのは難しいところですが、何にせよ球界全体でも上位のプロスペクトであったことは間違いありません。

現代プロスペクトとのComp:Trevor Bauer 

26.Frank Robinson

1953年に17歳でCIN傘下へ加入すると、白人街に本拠地を置くROYチームにて壮絶な人種差別を受けながらも活躍。

翌1954年にはSouth Atlantic League(A)で年長者相手に三冠王を争い、リーグの監督間投票においてリーグNo.1プロスペクトに選ばれました。

1955年は故障によって同リーグで足踏みすることになるも、1956年春季キャンプ中に当時PITの取締役会長であったBranch Rickeyが「球界最高のプロスペクト」と大絶賛。その評価通りに満票でNLのROYに輝いています。

CLE傘下のゴールデンコンビHerb ScoreRocky Colavitoを両方とも上回っていたかは微妙ですが、Top 3やTop 5クラスであったことは確か。

現代プロスペクトとのComp:Eloy Jimenez

27.Joe Morgan

高校時代から頭角を現すことができずNCAA入りは果たせなかったものの、進学先の短期大学で首位打者に輝き、誕生したばかりのHOUに加入。

早速1年目(1963年)からAクラス最上級の好成績を残し、同シーズン最終盤に若干19歳でMLBデビュー。

翌1964年にはTexas League(AA)のMVPに輝きました。

パフォーマンスの割に全国的な報道で話題に挙がることは少なかったイメージですが、地元メディアの間では1965年シーズンのROY受賞を期待されており、実際にROYのDeserverに。

現代プロスペクトとのComp:Bo Bichette

28.Lefty Grove

MiLB史上最強と謡われる伝説の1920年代Baltimore Oriolesで活躍。

本人もMiLB球界最高の逸材として名を馳せるも、易々とプレーヤーをMLBへ手放さないJack Dunnオーナーの方針によって、MLB加入は大きく遅延し、最終的に当時の最高記録となる移籍金$100,600にてPhiladelphia Athleticsへ移りました。

現代の田中 将大山本 由伸に近しいイメージ。

現代プロスペクトとのComp:山本 由伸

29.Tris Speaker

詳細なプロファイルを「トリス・スピーカー:MLBレジェンド選手紹介」に記しているため、本項では説明を省略。

現代プロスペクトとのComp:Alex Verdugo

30.Johnny Bench

MLB定着までのプロファイルを「MLB史に残るプロスペクトたち:その2」に記しているため、本項では説明を省略。

現代プロスペクトとのComp:Adley Rutschman

31.Alex Rodriguez

史上最高のプロスペクトに最も近しい存在。(ただし、一般的なファンやメディアの間で圧倒的な話題を集めていたかと言われれば微妙。)

1993年ドラフト「Ken Griffey Jr.以来の逸材」と別格の扱いを受け、翌1994年には躓くことなくA→AA→AAAと駆け上がり、9月に若干18歳でMLBデビュー。これ以来19歳の誕生日を迎える前にMLBへ到達したプロスペクトは1人もいません。

1995年はAAAで開幕を迎えるも1ヵ月程度で難なく再昇格。8月にAAA再降格を喫するも、1996年にあっさりとブレイクを果たしMVP級の成績を残しました。

ちなみに、1994年開幕前(プロ実戦デビュー直前)のBA 100では6位に留まっており、ドラフト時の評価はGriffeyBryce Harperの方が上位のイメージ。

現代プロスペクトとのComp:Wander Franco

1970年以降に19歳未満(18歳)でMLBデビューを果たした計11選手について

32.Cal Ripken Jr.

高校時代は二刀流プレーヤーとして投打で高い評価を受けており、1978年ドラフトにて1巡目指名を獲得できなかったことが不思議。(結果は2巡目・全体48位)

プロ入り後は幾度となく特集記事が組まれるなど異例の扱いを受け、シーズン最終盤にMLBデビューを果たすことになる1981年には、David Greenと並ぶ球界最高のプロスペクトと称されました。

そして、伸び悩むGreenを尻目に、翌1982年シーズンにROY、翌々1983年シーズンにMVPを受賞しています。

現代プロスペクトとのComp:Gunnar Henderson

33.Ken Griffey Jr.

1987年ドラフト時はMLBのスカウトに「過去10~15年で最高の逸材」と称され、プロ入り後も期待を上回る規格外のパフォーマンスを残し、1980年代随一の歴史的プロスペクトに。

1989年には春季キャンプで好成績を残したことで、AAAを経験することなく開幕ロースター入り。

開幕時点ではGary Sheffieldと並ぶALROY最終力候補と見做されていましたが、シーズン中盤に彼女と喧嘩した際、怒りに身を任せたまま壁を殴って骨折。そのおかげでROYには僅かに届きませんでした。

現代プロスペクトとのComp:該当なし

HarperTroutを足して2で割った感じか)

34.Carl Yastrzemski

高校時代から全米屈指のプロスペクトとして注目を集め、NYYの$60Kオファーを蹴って大学進学。しかし、大学進学から半年も経たないうちに$100Kという破格のオファーを受け入れBOS入り。

プロ1年目(1959年)からCarolina League(Class B)のMVPを受賞し、翌1960年シーズンにはAmerican Association(AAA)の首位打者タイトルに肉薄。

そして、1960年シーズン限りで引退したTed Williamsの後継者として、1961年シーズン開幕前には同シーズンの圧倒的なROY最有力候補と見做され、一部では「ALにおけるMickey Mantle以来最高のルーキー」との声も上がりました。

現代プロスペクトとのComp:Dustin Ackley

35.Clayton Kershaw

Max ScherzerやTim Lincecumも含め、上位12ラウンドで9名ものピッチャーがピックされた2006年ドラフトの全体7位指名。

それから2年後にAAAを飛び級してMLBデビュー。

現代プロスペクトとのComp:MacKenzie Gore

36.Roberto Clemente

プエルトリコ時代は陸上選手(やり投げ、幅跳び)としても活躍し、1954年シーズン開幕直前にBROと高額ボーナスにて契約。

若干19歳でInternational League(AAA)に配属されたものの一筋縄ではいかず、主にプラトーン要員としてプレー。同年中にMLBへ到達することはありませんでした。

そのため、シーズン終了後にルール5ドラフトの対象となり、同クラスの目玉プレーヤーとしてPITからピックを獲得。

さらに、その直後にプエルトリコWLへ参加すると、NL MVPを獲得したばかりのWillie Maysに次ぐ成績を残し、プロスペクト評価を伸ばしました。

現代プロスペクトとのComp:Anthony Gose

37.Bob Gibson

高校~大学時代は、野球だけでなくバスケと陸上においても活躍を見せ、クレイトン大学バスケ部の永久欠番に。卒業1年目の1957-58年はMiLBで投手を務める傍ら、バスケのセミプロチームでもプレーしています。

制球難に苦しみながらもMiLB屈指の剛速球を武器にAAAで十分過ぎるパフォーマンスを残したものの、STL組織内のレイシズムによってコールアップは遅延。

また、真の本格化も32歳と当時代のピッチャーにしては遅め。

現代プロスペクトとのComp: Reynaldo Lopez

38.Justin Verlander

2006年と同じく上位12ランド中9ラウンドにおいてピッチャーが指名された2004年ドラフトの全体2指名。

また、Kershawと同様にAAAを飛び級。

現代プロスペクトとのComp:Paul Skenes

39.Joe DiMaggio

サンフランシスコ近郊出身のため、PCLにて若干17歳からプロ生活をスタート。

そして、3年目の1934年シーズン終了後、$25K&プレーヤー5名とのトレードでNYYが西海岸最高のプロスペクトを手に入れました。

ちなみに、シーズン途中の段階ではBOSが最有力と見做されており、NYYのエンゲージにはBabe Ruthの退団が大きく影響していると考えられます。

また、翌1935年シーズンも引き続きPCLでプレーを続け、リーグMVPを置き土産にMLBへ。

現代プロスペクトとのComp:Julio Rodriguez

40.Pete Alexander

デビューまでにトッププロスペクトと見做されなかった数少ないレジェンドプレーヤーの1人。

高校卒業後に1度は地元企業に就職するも、野球への道を諦めきれずセミプロにてプレーを続け、22歳でMiLB入り。

Dクラス→Bクラスの流れでプロ3年にMLBへ到達

デビューまでは全くと言ってもいいほど注目されていませんでしたが、Christy MathewsonらとMVPを争うほどのルーキー離れしたパフォーマンスを披露し、一大センセーションを巻き起こしています。

現代プロスペクトとのComp:Jacob deGrom