MLB史に残るプロスペクトたち

最近はブライス・ハーパー、スティーブン・ストラスバーグ、ウラディミール・ゲレーロ Jr.などのトッププロスペクトが一部のMLBスター選手よりも人気と話題を集めることも。しかし、MLBの歴史上のトッププロスペクトについて日本ではあまり知られていません。

今回の記事では(MLBで活躍したかはどうかはとりあえず置いといて)ハーパーやストラスバーグ級の話題&評価を受けていた歴代のトッププロスペクトを取り上げてみたいと思います。



グレッグ・ジェフリーズ

プロスペクトとして

1980年代に最も話題となった(伝説の?)トッププロスペクト。

当時のメッツは(暗黒期に入っていたヤンキースを尻名に)観客動員数がLADと1・2位を争う超人気チーム。そんなメッツから1985年に高卒ショートとして1巡目(全体20位)指名を受けたのがこのジェフリーズです。(遅生まれのためドラフト時はまだ17歳)

プロとして実質1年目となった1986年にメッツはワールドチャンピオンとなるわけですが、ジェフリーズは18歳ながらもAとAAで2度のサイクルヒットを達成するなど大ブレイクを果たしベースボールアメリカのマイナーリーグ最優秀選手に選出。その打撃力により他球団監督から不正を疑われ、バットをリーグから調べられたことも。

1987年には19歳でAAにおいてOPS1.000以上の活躍を見せシーズンの最終盤には87年シーズン最年少となる20歳36日でMLBデビュー。ベースボールアメリカのマイナーリーグ最優秀選手賞を2年連続で受賞(2度の受賞は他にアンドリュー・ジョーンズのみ)。

言うなれば今のヤンキース傘下でワンダー・フランコがプレーしているようなものですね。

MLBデビュー後

1988年、当時のメッツは強豪で選手層も厚かったためAAAで開幕を迎えるも成績は下落。ただ、8月のMLB再昇格後は期待通りのパフォーマンス見せたった29試合の出場ながらも新人王投票では6位に。

しかし、その過大すぎた話題性は悪くもメッツのチームメイトの妬みを買いチーム内で嫌がらせを受けるなどメンタル面に負担もあり、翌年以降はイマイチの成績に。マイナー時代はショートしてプレーしていたものの守備力はイマイチで、MLBデビュー後は一度もショートを守ることはなくセカンドやサードでもその守備力は通用しませんでした。

それでも、メッツから移籍以降は成績が向上し1993年にはカージナルスで打率リーグ3位、OPS+リーグ8位、盗塁数リーグ4位を記録するなどスター級の好成績も記録しており、歴史上トップクラスのプロスペクトとして最低限の成績は残したといえるでしょう。

Regiter Batting
Year Age Tm Lev G AB H HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
1985 17 2 Teams Rk-A 67 230 75 4 28 18 20 .326 .376 .500 .876
1986 18 3 Teams A-AA 125 521 184 16 57 44 41 .353 .401 .549 .950
1987 19 NYM MLB 6 6 3 0 0 0 0 .500 .500 .667 1.167
1987 19 Jackson AA 134 510 187 20 26 49 43 .367 .423 .598 1.021
1988 20 NYM MLB 29 109 35 6 5 8 10 .321 .364 .596 .961
1988 20 Tidewater AAA 132 504 142 7 32 32 34 .282 .322 .395 .717
1989 21 NYM MLB 141 508 131 12 21 39 46 .258 .314 .392 .706
1990 22 NYM MLB 153 604 171 15 11 46 40 .283 .337 .434 .771
1991 23 NYM MLB 136 486 132 9 26 47 38 .272 .336 .374 .711
1992 24 KCR MLB 152 604 172 10 19 43 29 .285 .329 .404 .733
1993 25 STL MLB 142 544 186 16 46 62 32 .342 .408 .485 .894
1994 26 STL MLB 103 397 129 12 12 45 26 .325 .391 .489 .880
1995 27 PHI MLB 114 480 147 11 9 35 26 .306 .349 .448 .797
1996 28 PHI MLB 104 404 118 7 20 36 21 .292 .348 .401 .749
1996 28 Scranton/Wilkes-Barre AAA 4 17 2 0 0 1 3 .118 .167 .235 .402
1997 29 PHI MLB 130 476 122 11 12 53 27 .256 .333 .391 .724
1998 30 2 Teams MLB 144 555 167 9 12 29 32 .301 .333 .411 .744
1999 31 DET MLB 70 205 41 6 3 13 11 .200 .258 .327 .585
1999 31 Toledo AAA 2 8 2 0 0 0 2 .250 .250 .250 .500
2000 32 DET MLB 41 142 39 2 0 16 10 .275 .344 .373 .717
Year Age Tm Lev G AB H HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
MLB MLB MLB MLB 1465 5520 1593 126 196 472 348 .289 .344 .421 .765
Mino Mino Mino Minors 464 1790 592 47 143 144 143 .331 .380 .509 .889
All All All   1929 7310 2185 173 339 616 491 .299 .353 .443 .796
                             
AAA AAA AAA Minors 138 529 146 7 32 33 39 .276 .316 .388 .704
AA ( AA ( AA ( Minors 139 529 195 20 27 51 45 .369 .425 .597 1.022
A (2 A (2 A (2 Minors 140 566 194 17 63 46 43 .343 .390 .534 .924



リック・ライカート

MLBにおけるドラフト導入の要因になったと言われるプロスペクト。

プロスペクトとして

元々はアメリカン・フットボールをメインにウィスコンシン大学に進学。野球を本格的にプレーし始めたのは高校3年生時(アメリカは小学高5年、中学高が3年、高校4年生がスタンダート)と非常に野球経験は少なく(リトルリーグなどでは散発的&パートタイム的にプレーしていたそう)、大学1年目は野球をプレーせずにアメフトに専念。

全米トップクラスの強豪ウィスコンシン大アメフト部ではフルバックとしてプレーすると、3年生の秋(1963年秋)にウィスコンシン大学が所属するビッグ10カンファレンスにおいてカンファレンス5位となるリサービングヤード数を記録しローズボールにも出場。(アメリカの学期は秋スタート、夏終了)

しかし、2年生の春(大学アメフトのオフシーズン)にアメフトの練習をするのが嫌(アメフトのオフシーズンに他スポーツをプレーして時間を潰すのは珍しいことではない)だったこととアメフトの2年生時シーズンに足を痛めたこともあり野球部に入部(1963年春)。すると、入部直後からその類まれなる野球の才能を発揮し打率.429の好成績でビッグ10の首位打者に。この時点でMLBチームから契約金10万ドル以上のオファーを受けていたようですが、オファーを拒否して上述の通りアメフト部に戻り活躍。

そして、1964年の春に再び野球部に戻ると28試合で打率.443、8本塁打、20盗塁を記録し2年連続の首位打者に輝きました。

この2年間の野球&アメフトでの大活躍(とハンサムな顔立ち)により一躍アマチュアスポーツ界の大スターとなったライカートを巡り歴史に残る争奪戦がMLB球団間でスタート。シーズン終了後の夏(4年生進級直前)にはニューヨークからカリフォルニアまで全米中を巡り各MLB球団と直接交渉。当時のMLB全20球団中18球団がオファーを行ったと言われています。

高騰する契約金により数々のMLBチームが脱落していき最後に残ったのはヤンキース、アスレチックス、エンゼルス、カージナルスの4チーム。その中でも当時球団創立4年目で話題性のある若手スターを欲していたエンゼルスが20万5000ドル(一部のソースでは25万ドルという話も)でこの争奪戦に勝利。当時のMLB最高年俸がウィリー・メイズの10万5000ドルであったことを考えると、この契約金がどれほど衝撃的なものだったか分かるはず。

この約半年後ののウインター・ミーティングでMLBドラフトの導入がオーナー間投票により決定するわけですが、ライカートの契約金高騰がこの最大の要因になったと言われています。

MLBデビュー後

野球経験が少なくマイナーでじっくり育成するべきプロスペクトであったもののエンゼルスは契約直後にライカートをMLBデビューさせましたがもちろんすぐには通用できず1965年にもイマイチな成績に。

ところが1966年は才能が開花し開幕から40試合で12本塁打、OPS.977を記録するなど猛打を披露。このままスター選手になるかと思われましたが、シーズン途中から頭痛に悩まされ成績が下落し始めると、検査により腎臓病と診断され手術により片方の腎臓を除去。

手術後は1試合しかプレーできず翌年以降もその強打が復活することはありませんでした。

上述したようにライカートの契約金高騰がMLBドラフトの要因になったと言われていますが、1961年にもパイレーツが高校生のボブ・ベイリーと17万5000ドルで契約するなどアマチュア選手の高騰はライカートの何年も前から起こっていたので、ライカートがいなくともMLBドラフトの導入時期はほとんど変わってなかったと私は思います。
Register Batting
Year Age Tm Lev Aff G AB H HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
1964 21 2 Teams A-AAA LAA 57 228 66 8 9 12 46 .289 .339 .452 .790
1964 21 LAA MLB LAA 11 37 6 0 1 1 12 .162 .184 .162 .346
1965 22 CAL MLB CAL 20 75 20 1 4 5 12 .267 .321 .360 .681
1965 22 Seattle AAA CAL 131 485 136 13 13 26 81 .280 .326 .414 .741
1966 23 CAL MLB CAL 89 319 92 16 8 27 61 .288 .367 .480 .846
1967 24 CAL MLB CAL 146 498 132 17 5 35 90 .265 .320 .404 .724
1968 25 CAL MLB CAL 151 534 136 21 8 42 118 .255 .328 .421 .749
1968 25 Angels WRk CAL                      
1969 26 CAL MLB CAL 137 493 125 13 3 43 100 .254 .319 .371 .691
1970 27 2 Teams MLB WSA-CAL 116 283 71 15 2 26 69 .251 .330 .473 .804
1971 28 CHW MLB CHW 138 496 138 19 5 37 90 .278 .335 .429 .764
1972 29 CHW MLB CHW 101 291 73 8 2 28 63 .251 .321 .409 .730
1973 30 2 Teams MLB CHW-KCR 87 280 70 6 2 19 57 .250 .298 .382 .680
1974 31 KCR MLB KCR 1 1 1 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
Year Age Tm Lev Aff G AB H HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
MLB MLB MLB MLB   997 3307 864 116 40 263 672 .261 .326 .414 .740
Mino Mino Mino Minors   188 713 202 21 22 38 127 .283 .330 .426 .757
All All All     1185 4020 1066 137 62 301 799        
                               
AAA AAA AAA Minors   154 583 164 19 14 32 104 .281 .329 .431 .760



デビッド・クライド

1973年のドラフト全体1位指名。今でも史上最高(&最速)の高校生投手に推すファンも多いアメリカの江川卓。

ノーラン・ライアンの球速の変遷 1974年~1993年 MLB年度別平均球速Top3 MLB年度別最高球速Top5 MLB年度別先発投手平均球速...

プロスペクトとして

サンディ・コーファックスを彷彿とさせる豪快かなオーバースローから高校生離れした快速球とカーブを披露。遅生まれながらも高校最終学年(4年生時)には148にイニングを投げ18勝無敗、防御率0.18、328奪三振(奪三振率19.9)、18四球(与四球率1.1)、2度の完全試合を含む5度のノーヒッターを記録するなど、高校通算で10度のノーヒッターを達成し通算842奪三振、29完封、115.2イニング連続無自責点などを含む14の(当時の)アメリカ高校野球歴代最高記録を樹立。

1973年のMLBドラフトでは同じく1970年代トップクラスのプロスペクトであったデーブ・ウィンフィールドやロビン・ヨーントらを抑えテキサス・レンジャーズから全体1位指名を受けました。ちなみに、契約金は12万5000ドルと報道されていますが、本人によると実際には1年目の年俸+MLB昇格ボーナスも含めて9万5000ドル程度だったそう。

MLBデビュー後

テキサス移転2年目(元々はワシントン・セネターズ)ながらもチームの不振による観客動員数の低迷と不人気、そしてチーム移転&売却の危機に瀕していたレンジャーズの悪徳オーナー:ボブ・ショートはクライドの即刻MLBデビューを指示。そして、ドラフトのたった22日後となる6月27日水曜日のホームゲームに(マイナーリーグをすっ飛ばし)若干18歳66日での初先発が決定。

それまでテキサス移転後の最高観客動員数がたった2万4000人、平日の動員数は7000人前後だったレンジャースの本拠地アーリントン・スタジアムは3万5000人の超満員となり、その日の朝9時30分にチケットが完売したためファン約1万人がチケットを手に入れられずなど販売所からでぶらで帰るハメに。球場周辺道路が大渋滞となり試合開始時間が遅れるなど、18歳になったばかりの高卒投手に対し一大センセーションが発生。

もちろんチケットも高騰し平均価格は2.8ドルに。通常よりも2万8000人観客数が多かったため(単純計算で)それだけでレンジャーズは約7万8000ドルを儲けており、その他の売店収入などを含めればクライドの契約金の大部分はデビュー戦だけで回収できたようです。

そのデビュー戦では5回、2失点、1被安打、8奪三振、7四球と類まれなる才能を感じさせるパフォーマンスを披露。

しかし、その後は制球難を含めた完成度の低さが露呈しシーズンrWARは-0.7とイマイチな成績に。日に日にファンからの注目度も薄れていきシーズン終盤の9月21日金曜日の先発時にはアーリントン・スタジアムにたった2500人しか集まらず。

2年目以降はこれといってパフォーマンスが向上することなく1975年にはとうとう肩を故障。その怪我によりアルコール依存症に陥るなど典型的な転落野球人生に。

1978年のインディアンズ移籍を機に1シーズンだけ活躍しましたが再び肩を故障。1981年に若干26歳でプロ野球選手としてのキャリアを終えました。

Register Pitching
Year Age Tm Lg Lev Aff W L ERA G GS IP BB SO WHIP H9 HR9 BB9 SO9 SO/W
1973 18 TEX AL MLB TEX 4 8 5.01 18 18 93.1 54 74 1.714 10.2 0.8 5.2 7.1 1.37
1974 19 TEX AL MLB TEX 3 9 4.38 28 21 117.0 47 52 1.504 9.9 1.1 3.6 4.0 1.11
1975 20 TEX AL MLB TEX 0 1 2.57 1 1 7.0 6 2 1.714 7.7 0.0 7.7 2.6 0.33
1975 20 Pittsfield EL AA TEX 12 8 3.07 22 22 161.0 94 131 1.484 8.1 0.2 5.3 7.3 1.39
1976 21 Sacramento PCL AAA TEX 0 4 8.67 5 5 27.0 18 21 2.074 12.7 1.7 6.0 7.0 1.17
1977 22 Tucson PCL AAA TEX 5 7 5.84 34 21 128.0 119 90 2.086 10.4 0.5 8.4 6.3 0.76
1978 23 CLE AL MLB CLE 8 11 4.28 28 25 153.1 60 83 1.474 9.7 0.2 3.5 4.9 1.38
1979 24 CLE AL MLB CLE 3 4 5.91 9 8 45.2 13 17 1.380 9.9 1.4 2.6 3.4 1.31
                                       
1981 26 2 Teams 2 Lgs AAA-AA HOU 10 10 4.71 29 26 168.0 83 110 1.631 10.2 0.3 4.4 5.9 1.33
Year Age Tm Lg Lev Aff W L ERA G GS IP BB SO WHIP H9 HR9 BB9 SO9 SO/W
MLB MLB MLB   MLB   18 33 4.63 84 73 416.1 180 228 1.530 9.9 0.7 3.9 4.9 1.27
Mino Mino Mino   Minors   27 29 4.69 90 74 484.0 314 352 1.727 9.7 0.4 5.8 6.5 1.12
All All All       45 62 4.66 174 147 900.1 494 580 1.636 9.8 0.5 4.9 5.8 1.17
                                       
AAA AAA AAA   Minors   9 21 6.55 58 45 264.0 204 170 2.045 11.5 0.5 7.0 5.8 0.83
AA ( AA ( AA (   Minors   18 8 2.45 32 29 220.0 110 182 1.345 7.6 0.2 4.5 7.4 1.65



クリント・ハートン

二刀流として(大谷翔平のように)ベーブ・ルースとも比較された第2次世界大戦前後のプロスペクト。

プロスペクトとして

1939年に地元テキサスのホンド高校を州大会優勝に導くと、高校卒業後にニューヨーク・ジャイアンツ(現在はサンフランシスコに移転)と500ドルで契約。1年目となる1942年には19歳時ながらもCクラス(上から5番目の階級、現在でいう所のAクラス)で好成績を残しAA(MLBの次の階級、現在のAAAに当たる)でも6試合プレー。しかし、翌年にでもMLBデビューを期待できるところでしたが第2次世界大戦によりアメリカ空軍に徴兵。

戦時中はハワイに駐屯し(一部の他の徴兵されたプロ野球らと共に)軍のリーグでプレー。身長196cm・体重98kgの巨体から繰り出される剛速球とパワーはハワ駐在軍内ではけた外れのもので、投手としては25試合に登板し全勝無敗。通算でたった12失点しか許さず1試合平均奪三振は15個。加えて外野手として(出場試合数は不明、チームの総試合数は67試合)打率.567、30本塁打を記録するなど、俗に言うVideo Game Stats(ゲームのような成績)を残しました。

1946年の徴兵終了後は(詳細な理由は不明ですが)徴兵前のジャイアンツとの契約は無かったことになったようで、1947年1月にジャイアンツ(1946年は最下位と低迷)と3万5000ドルの大金で再契約。

改めてニューヨークに戻るとニューヨークメディアによる超過剰報道が行われライフ誌は「伝説的」、トム・ミーニー(ニューヨークの著名な野球記者。のちにメッツのマスコットMr. Metを考案)は「ポログラウンズ(ジャイアンツの本拠地)には立ち寄らず野球の殿堂に直行すべきだ」と報道し、ジャイアンツの広報担当は「ハートンのアンチなど表れない。彼はストレートで殿堂入りするはずだ。」とコメント。

1947年の春季キャンプでは初打席からホームランを放つなど計5本塁打を記録し、開幕戦には3番レフトでスタメン起用を受けています。

MLBデビュー後

成績を見る限りでは野手>投手ですが1950年代に入るまでジャイアンツは投手か野手どちらに専念させるか決められず中途半端な育成を継続。結局最後までどちらでも才能が発揮されることはありませんでした。

打者として成績の方がいいといっても守備がダメダメだったようなので全体的な貢献度はあんまり変わらなかったのかも。

その後はビル・ジェームズが過剰評価を受けたプロスペクトとして象徴的に扱ったことで有名に。

Register Batting
Year Age Tm Lg Lev Aff G AB H HR BB SO BA OBP SLG OPS
1942 19 2 Teams 2 Lgs C-AA   72 280 95 12     .339   .564  
                               
1947 24 NYG NL MLB NYG 34 94 29 4 3 21 .309 .330 .543 .872
1948 25 NYG NL MLB NYG 43 56 10 0 7 24 .179 .270 .232 .502
1949 26 NYG NL MLB NYG 38 63 12 4 4 21 .190 .239 .381 .620
1950 27 NYG NL MLB NYG 32 43 13 3 1 13 .302 .318 .605 .923
1951 28 NYG NL MLB NYG 21 44 9 0 1 9 .205 .222 .227 .449
1952 29 NYG NL MLB NYG 28 78 17 3 9 24 .218 .299 .385 .683
1952 29 Minneapolis AA AAA NYG 105 368 123 27 27 90 .334 .384 .636 1.020
1953 30 Minneapolis AA AAA NYG 120 427 118 19 40 84 .276 .348 .478 .826
1954 31 Havana IL AAA   90 277 74 14 36 59 .267 .349 .466 .815
1955 32 3 Teams 3 Lgs AAA-AA-Opn CIN 61 127 29 8 12 26 .228   .465  
Year Age Tm Lg Lev Aff G AB H HR BB SO BA OBP SLG OPS
MLB MLB MLB   MLB   196 378 90 14 25 112 .238 .285 .407 .693
Mino Mino Mino   Minors   448 1479 439 80 115 259 .297   .530  
All All All       644 1857 529 94 140 371 .285   .505  
                               
AAA AAA AAA   Minors   349 1157 334 65 115 258 .289 .357 .522 .879
AA ( AA ( AA (   Minors   31 56 10 3     .179   .393  
Register Pitching
Year Age Tm Lg Lev W L ERA G IP BB SO WHIP H9 BB9 SO9 SO/W
1942 19 2 Teams 2 Lgs C-AA 3 1 3.60 9 50.0 20 4 1.320 8.3 3.6    
1942 19 Minneapolis AA AA 0 0 4.00 3 9.0 5 4 1.889 12.0 5.0 4.0 0.80
1942 19 Eau Claire NORL C 3 1 3.51 6 41.0 15   1.195 7.5 3.3    
                                 
1947 24 NYG NL MLB 9 7 4.57 23 138.0 69 54 1.514 9.1 4.5 3.5 0.78
1948 25 NYG NL MLB 8 8 4.75 36 153.1 72 42 1.422 8.6 4.2 2.5 0.58
1949 26 NYG NL MLB 9 11 5.00 33 154.2 86 48 1.565 9.1 5.0 2.8 0.56
1950 27 NYG NL MLB 3 3 6.61 20 65.1 44 23 2.005 12.0 6.1 3.2 0.52
                                 
1954 31 Havana IL AAA 0 0   2                
1955 32 Nashville SOUA AA 2 0   5                
MLB MLB MLB   MLB 29 29 5.02 112 511.1 271 167 1.565 9.3 4.8 2.9 0.62
Mino Mino Mino   Minors 5 1   16 50.0 20 4          
All All All     34 30   128 561.1 291 171          
                                 
AA ( AA ( AA (   Minors 2 0   8 9.0 5 4