MLB史に残るプロスペクトたち:その2

MLB(アメリカ野球)の歴代名プロスペクトを取り上げていく企画。

前回(その1)ではMLBで期待外れだった選手ばかりを取り上げましたが、今回はプロスペクトとしての成功例も挙げてみました。

MLB史に残るプロスペクトたち(その1)



ジョニー・ベンチ

MLB史上最高のキャッチャーであり、「史上最高のプロスペクトは誰か?」という議論において必ず名前が挙がる稀代の天才。

プロスペクトとして

父のテッドはセミプロでキャッチャーとしてプレーしており、第2次世界大戦がなければMLBでプレーしていた可能性もあったほどの選手。6歳からその父の指導を受けリトルリーグではキャッチャーと投手の二刀流としてプレー。地元の高校に進学するとキャッチャー&投手としてだけでなくバスケットボールでも活躍を見せ、野球とバスケットボールの両方でオクラホマ州のオール=ステート・チームに選出。(学業も優秀で卒業時には首席に)

1965年に行われた史上初のMLBドラフトではシンシナティ・レッズが2巡目・全体36位で指名。大学進学&奨学金を蹴り6000ドルで契約を結びました。

契約後はクラスA(タンパ・ターポンズ)でプレーすると、バッティングでは苦しんだものの持ち前のキャッチャー守備は高評価。翌年はその好守に加えて打撃力も開花し所属リーグのMVPを受賞。22本塁打はターポンズ球団記録であり、若干18歳でAAA昇格も果たしました。

1967年はAAAで開幕を迎えるとリーグ平均OPS.663を大きく上回るOPS.818、23本塁打を記録。オフシーズンにはキャッチャーとして初めてスポーティング・ニュースのマイナー最優秀選手に選出。8月には若干19歳でMLBデビュー。

MLBデビュー後はドラフト後のプロデビュー時と同様にバッティングが通用しなかったものの強肩(盗塁阻止率50%)と好守は19歳ながらもすでにMLBトップクラス。他球団の監督陣からも超が付くほどの絶賛を受け、1968年新人王の最有力選手に。

1968年シーズン前にはスポーツイラストレイテッドの表紙を飾り、「将来、史上最高のキャッチャーとなるだろう」と報道するテレビ局も。春季キャンプでテッド・ウィリアムズに人づてでサインボールをねだるとボールに「殿堂入り間違いなしのジョニーへ(To Johnny, a Hall of Famer for sure.)」を書かれていたことはあまりにも有名。(ただ、本人のインタビューによると1969年の春季キャンプの出来事である可能性もあります。)

ちなみに、ベンチはMLBデビューまで様々なアクシデントに苛まれた選手。下はそのアクシデントの一覧。

  • 高校野球部のバスがブレーキ故障により高さ15mの崖から落下。チームメイト2人が死亡したものの、ベンチは気を失っただけで大きな身体的外傷は無し。
  • 1966年、キレてバットを投げつけるとバットの破片が首に突き刺さった。
  • 同じく1966年、AAAデビュー戦の初回にファールチップが右手親指に当たり骨折。この年にAAAで1試合しかプレーしていないのはこのため。
  • 1966年シーズン終了後に帰省する途中、飲酒運転車と衝突事故を起こし頭を27針縫う大怪我に。

MLB定着後

1968年シーズンはMLBに定着すると好守で期待通りの活躍を見せキャッチャーとしてNLトップの好成績を残し新人王を受賞。15本塁打、OPS.743のバッティングだけでも20歳キャッチャーとして超一流の成績ですが、守備ではそれ以上のパフォーマンスを残し新人キャッチャーとして史上初めてゴールドグラブ賞を受賞。チームのエースやベテラン選手に対しても物怖じすることなく接するなど、この時点ですでに優れたリーダーシップを発揮していました。

(ちなみに、OPS.743なんて大したことないと思われるかもしれませんが、1968年はMLB平均OPSが.639と超投高低でOPS.743でもwRC+は115。)

その後は2度のMVP、10年連続のゴールドグラブ賞、ワールドシリーズ2連覇、キャッチャー最高記録のrWAR75.2、fWAR74.8などMLB史上最高のキャッチャーとして数々の功績を残しています。

Register Batting
Year Age Tm Lev Aff G AB H HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
1965 17 Tampa A CIN 68 214 53 2 2 27 32 .248 .327 .346 .672
1965 17 Reds WRk CIN 42 135 33 1 0 10 16 .244 .301 .311 .612
1966 18 2 Teams A-AAA CIN 99 350 103 22 0 36 69 .294 .357 .529 .886
1966 18 Buffalo AAA CIN 1 0 0 0 0 0 0        
1966 18 Peninsula A CIN 98 350 103 22 0 36 69 .294 .357 .529 .886
1966 18 Astros/Reds WRk CIN 22 76 15 1 0 5 8 .197 .247 .250 .497
1967 19 CIN MLB CIN 26 86 14 1 0 5 19 .163 .207 .256 .462
1967 19 Buffalo AAA CIN 98 344 89 23 2 21 68 .259 .297 .520 .818
1968 20 CIN MLB CIN 154 564 155 15 1 31 96 .275 .311 .433 .743
1969 21 CIN MLB CIN 148 532 156 26 6 49 86 .293 .353 .487 .840
1970 22 CIN MLB CIN 158 605 177 45 5 54 102 .293 .345 .587 .932
1971 23 CIN MLB CIN 149 562 134 27 2 49 83 .238 .299 .423 .722
1972 24 CIN MLB CIN 147 538 145 40 6 100 84 .270 .379 .541 .920
1973 25 CIN MLB CIN 152 557 141 25 4 83 83 .253 .345 .429 .774
1974 26 CIN MLB CIN 160 621 174 33 5 80 90 .280 .363 .507 .870
1975 27 CIN MLB CIN 142 530 150 28 11 65 108 .283 .359 .519 .878
1976 28 CIN MLB CIN 135 465 109 16 13 81 95 .234 .348 .394 .741
1977 29 CIN MLB CIN 142 494 136 31 2 58 95 .275 .348 .540 .889
1978 30 CIN MLB CIN 120 393 102 23 4 50 83 .260 .340 .483 .823
1979 31 CIN MLB CIN 130 464 128 22 4 67 73 .276 .364 .459 .824
1980 32 CIN MLB CIN 114 360 90 24 4 41 64 .250 .327 .483 .810
1981 33 CIN MLB CIN 52 178 55 8 0 17 21 .309 .369 .489 .858
1982 34 CIN MLB CIN 119 399 103 13 1 37 58 .258 .320 .396 .716
1983 35 CIN MLB CIN 110 310 79 12 0 24 38 .255 .308 .432 .741
Year Age Tm Lev Aff G AB H HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
MLB MLB MLB MLB   2158 7658 2048 389 68 891 1278 .267 .342 .476 .817
Mino Mino Mino Minors   265 908 245 47 4 84 169 .270 .328 .482 .810



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ブライエン・テイラー

その1で紹介したデビッド・クライドと並ぶドラフト史上最高の高校生投手の1人。最初で最後のヤンキースによるMLBドラフト全体1位指名(1991年)

ドラフト開始以降では球団最高のプロスペクトでしょう。

プロ入り前

高校通算29勝6敗、防御率1.25。最終学年時には88イニングを投げ213奪三振、18被安打、24四球を記録。身長191㎝の長身瘦躯&スリークォーターから投げ込まれる最速99マイル(恐らく当時の高校生投手最高記録)の剛速球はランディ・ジョンソンやドワイト・グッデンと比較されるほどでした。

エージェントはまだ30代だったスコット・ボラスが担当。そのボラス、(これまためんどくさい人物だった)テイラーの両親、ヤンキースのフロントオフィス、(当時はMLBから追放されていた)ジョージ・スタインブレナーの間で契約交渉は揉めに揉め、最終的に進学予定の大学新学期開始の前日の期限ギリギリに当時のドラフト史上最高額となる155万ドルで契約を結びました。

プロ入り後

1992年シーズンの開始前には、まだプロでの登板経験が無かったにもかかわらずベースボールアメリカのプロスペクトランキングで全体トップに。シーズンが始まると変化球の伸び悩みこそ見せたものの全体的にはA+で通用。1993年シーズン前のプロスペクトランキングでもチッパー・ジョーンズ(1992年ドラフト全体1位)に次ぐ2位にランクインするなど引き続き高い評価を受けていました。

しかし、1993年はAAで期待外れのパフォーマンスを見せ、シーズンオフには兄と喧嘩した男にやり返そうとしたところ殴り合いになり左肩を脱臼(細かく書くと関節唇と回旋腱板の損傷)。トミー・ジョン手術で有名なフランク・ジョーブが診察し「これまで見てきた中で最悪の怪我の1つ」と評するほどの大怪我。

もちろん1995年はシーズン全休となりましたが復帰後は90マイル程度まで球速が低下してコントロールも崩壊(恐らくイップスのような状態だったのでしょう)。1998年にヤンキースを退団すると2000年に若干28歳で引退。今ではドラフト史上最悪の大外れだと言われていますね。

引退後

引退後は様々な仕事を転々としましたが、スピード違反や子どもの虐待疑惑、裁判所の出頭命令無視など様々な問題を起こし、2012年にはコカインの密売により逮捕。懲役50ヶ月の実刑を受けました。

マイナー時代に春季キャンプでテイラーとルームメイトになったことのあるデレク・ジーターはテイラーを「ナイスガイ」と評していましたが、どうせ現役時代からロクでもない人間だったのでしょう。

Register Pitching
Year Age Tm Lg Lev Aff W L ERA G IP BB SO WHIP H9 HR9 BB9 SO9 SO/W
1992 20 Fort Lauderdale FLOR A+ NYY 6 8 2.57 27 161.1 66 187 1.159 6.8 0.2 3.7 10.4 2.83
1993 21 Albany-Colonie EL AA NYY 13 7 3.48 27 163.0 102 150 1.405 7.0 0.4 5.6 8.3 1.47
                                     
1995 23 Yankees GULF Rk NYY 2 5 6.08 11 40.0 54 38 2.075 6.5 0.2 12.2 8.6 0.70
1996 24 Greensboro SALL A NYY 0 5 18.73 9 16.1 43 11 3.918 11.6 1.7 23.7 6.1 0.26
1997 25 Greensboro SALL A NYY 1 4 14.33 8 27.0 52 20 3.074 10.3 2.0 17.3 6.7 0.38
1998 26 Greensboro SALL A NYY 0 1 9.59 13 25.1 26 17 2.053 9.2 1.4 9.2 6.0 0.65
                                     
2000 28 Columbus SALL A CLE 0 0 27.00 5 2.2 9 2 5.250 16.9 3.4 30.4 6.8 0.22
All All All       22 30 5.12 100 435.2 352 425 1.634 7.4 0.5 7.3 8.8 1.21



ルイス・ソカレキシス

ネイティブなインディアンとして史上初めてナショナルリーグでプレー(本当に史上初めてだったかは異論がアリ)。クリーブランド・スパイダーズ(ナショナルリーグとアメリカンリーグの統合=MLB誕生前に消滅したチーム)に所属していましたが、ソカレキシスは(1915年にチーム名をナップズから改名した)クリーブランド・インディアンズの名称の由来になったと言われています。(この話の真偽については後ほど詳しく)

プロスペクトとして

アメリカ北東部の田舎メイン州のインディアン保護区に生誕。20代になるまでの記録は不十分なものの野球、陸上、アメリカンフットボールをプレー。ソカレキシスは後に歴代最高クラスの強肩の持ち主として有名となりますが、この頃の時点ですでに多くの強肩伝説を残しています。

1890年代に入ると短期的ではるものの大学チームやセミプロチームで本格的に野球のプレーを始め、1894年には地元のホテルのセミプロチームでの遠投コンテストにおいて408フィート(124m)を記録。そこで注目を集めたソカレキシスはマサチューセッツ州の名門ホリー・クロス大学に野球部と陸上部でプレーするために特別に入学。

1895年にはシーズン24試合で打率.436、長打率.862を記録。11エラー(守備率.784)を記録するなど守備には難があったものの、恐らく強肩だけは大学野球No.1。有名なエピソードとして、ハーバード大学との試合におけるセンターからの遠投を試合後にハーバード大学の教授陣が距離を測定したところ414フィート(126m)だったという話が。この記録を正しければソカレキシスは当時の遠投国際最高記録の持ち主ということになりますが、1895年にはチーム内の遠投コンテストでも393フィート(120m)を残し優勝しているので400フィートクラスの強肩だったことは確かのようです。

1896年のシーズン前には地元クリーブランド・スパイダーズで首位打者に輝いていたジェシー・バーケット(後に殿堂入り)から指導を受けるなどプロ球団からもプロスペクトとして注目を集め始め、1896年シーズンは打率.444を残し守備も向上。12月にはホリー・クロス大学を退学してかの有名なノートルダム大学に入学。しかし、1897年の3月に大学近くのバーで酒に酔い乱闘騒ぎを起こしたためたった数ヶ月で退学に。ソカレキシスは後にアルコール依存症に陥り身を亡ぼすわけですが、ソカレキシスにとってこれが初めての飲酒問題でした。

ナショナルリーグ・デビュー後

ノートルダム大学退学によりフリーとなったソカレキシスは、ジェシー・バーケットの推薦によりクリーブランド・スパイダーズと年俸1500ドルで契約。ネイティブ・アメリカンがプロ野球選手となるのはこれが初めてのこととされ(実際には史上初ではなかったものの)、その物珍しさからソカレキシスは一気に人気選手となり、シーズン途中には年俸が2400ドルまでアップ(当時のアメリカプロ野球でも上位の高年俸)。

インディアンのため他球団ファンなどからは差別を受けることもありましたが、当時のトップクラスのエースたち(キッド・ニコルズやエイモス・ルーシー)も打ち崩し最初の20試合で打率.372を記録。1895年&96年に首位打者を獲得したチームメイトのジェシー・バーケットと変わらぬ成績だったわけですから正しくスーパールーキー。

しかし、7月3日の夜にホテルの2階から飛び降りて足首を捻挫。なぜ飛び降りたか明確な理由は分かっていませんが、その夜にソカレキシスが大量の酒を飲む姿が目撃されており、伝えられている中で「それ以上酒を飲まないようにチームメイトによってホテル2階の部屋に監禁されたソカレキシスが逃げ出そうとした」という話が一番有力な説。この怪我の5日後には試合に復帰を果たしますがその後も足のケガに悩まされ、アルコール依存症も良化するどころかさらに悪化し酔った状態で試合に出場することもしばしば。最終的にはチームから出場停止処分も受けシーズン終盤はほとんど出場機会がありませんでした。

1898年からはアルコール依存症や足のけがのためかパフォーマンスも一気に低下し、スパイダーズでの出場試合数も1898年の21試合に激減。1899年にはオーナーが交代したことによりスパイダーズの選手陣はほとんどがマイナーリーグクラスの選手に。結局のところスパイダーズはシーズン20勝134敗というメジャーリーグ史上最多敗記録を樹立するわけですが、そんな低レベルなメンバーの中でもソカレキシスは7試合にしか出場できず、5月の試合では泥酔して試合中に2度倒れるなど無様な姿を晒し試合後に即刻解雇。これがメジャーリーグでの最後の出場となったことは言うまでもありません。

その後はマイナーリーグのチームを転々としますが飲酒による乱闘騒ぎなどで逮捕され刑務所で収監された時期も。もちろんマイナーリーグでの成績も散々でした。

それでもソカレキシスの圧倒的な才能は当時の野球関係者に大きなインパクトを残しており、ソカレキシスと同時代にプレーしその後タイ・カッブ時代のタイガースの監督を務めたヒューイー・ジェニングス(後に殿堂入り)は「ソカレキシスは史上最も偉大な選手になるはずだった。」と、そしてMLB史上最高の名監督であり同じくソカレキシスと同時代にプレーしたジョン・マグローは「私が見た中で最も才能に溢れた選手だった。」とコメントしています。

引退後

1901年に出身地であるメイン州のインディアン保護区に戻り結婚し定住。この頃からはアルコール依存症を克服し紳士的な人物に。様々な仕事を務めながら地元野球チームのコーチを行うなど選手時代とは打って変わってまともな野球人生活を送っていたようですが、1913年に心臓発作により42歳の若さで死去。

クリーブランド・インディアンズの誕生

1899年限りでクリーブランド・スパイダーズは消滅。代わりにクリーブランド・ナップズが1901年に誕生。ナップズは1901年の誕生当初がブルーズ、1902年がブロンコスというチーム名だったのですが、1902年のシーズン途中にフィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックス)から移籍してきた大スターであるナップ・ラジョイの名前からナップズに改名。

しかし、1914年限りでそのラジョイがアスレチックスに復帰したためチーム名の更なる変更が必要に。その結果としてソカレキシスがプレーしていた時代にスパイダーズが、ソカレキシスの存在によりインディアンズというニックネームで呼ばれていたことからクリーブランド・インディアンズに改名することとなったと言われています。

しかし、長らくは「インディアンズ」という新名称のアイデアは球団によるファン投票で決まったと伝えられてきましたが、最近の研究ではクリーブランドの新聞社4社のスポーツ記者にオーナーが新チーム名を相談した結果導き出されたもののよう。

ここで問題なのは4社の記者たちが本当にソカレキシス時代のスパイダーズの「インディアンズ」というニックネームを参考にしたかどうか。実際には記者たちがソカレキシスなどを参考とした証拠は全くないわけですが、記者の考えに15年以上前のソカレキシスの存在が影響した可能性も完全に0とは言えません。インディアンズはチーム名やロゴがインディアンに対する人種差別だという批判に対して「インディアンのソカレキシスを称えたものだから~」という言い訳を続けてきたわけですが、その言い訳が立たなくなる日も近いのかも・・・。

Register Batting
Year Age Tm Lg Lev G AB H 2B 3B HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
1895 23 Lewiston NENL B                          
                                   
1897 25 CLV NL MLB 66 278 94 9 8 3 16 18 38 .338 .385 .460 .845
1898 26 CLV NL MLB 21 67 15 2 0 0 0 1 8 .224 .246 .254 .500
1898 26 Mansfield ISLG B 1                        
1899 27 3 Teams 2 Lgs A-F 24 91 18 1 1 0 2            
1899 27 CLV NL MLB 7 22 6 1 0 0 0 1 2 .273 .304 .318 .623
1899 27 Hartford EL A 24 91 18 1 1 0 2     .198   .231  
1899 27 Bristol CTLG F 61 266 85 14 5 1 4     .320   .421  
1899 27 Waterbury CTLG F                          
                                   
1902 30 Lowell NENL B 105 406 117 15 1 1       .288   .337  
                                   
1907 35 Bangor MESL D                          
Year Age Tm Lg Lev G AB H 2B 3B HR SB BB SO BA OBP SLG OPS
MLB MLB MLB   MLB 94 367 115 12 8 3 16 20 48 .313 .355 .414 .770
Mino Mino Mino   Minors 191 763 220 30 7 2 6            


ゲイリー・ノーラン

18歳でMLBデビューを果たしデビュー直後から大活躍を見せた稀代の天才投手。

プロスペクトとして

カリフォルニア州の田舎町出身ですが高校時代には数十人のスカウトを集めるほどのスター選手に。1966年のMLBドラフトでは前年にジョニー・ベンチを指名していたシンシナティ・レッズが1巡目(全体13位)でノーランを指名し契約金4万ドルで入団。

入団からすぐにA-クラスでプロデビューを果たすと、104イニングを投げ防御率1.82、奪三振率14.1(163奪三振)の活躍。ウインターリーグでも年上相手に好成績を残しました。

MLBデビュー後

1967年シーズンには春季キャンプでコーチ陣の期待に応え若干18歳ながらも開幕からローテーション入り。MLBデビューから12試合連続で自責点3点以下を記録するなどMLBの打者も苦にせず、6月のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では7.2回・15奪三振も記録。(この試合でノーラン相手にウィリー・メイズがキャリア初の4打席連続三振を喫しています。)

まだ18~19歳だったためか中4日での起用でしたがシーズンを通してローテを守り切り、最終的に226.2イニングを投げリーグ4位となる防御率2.58を記録。加えて奪三振率8.2はリーグトップの数字で、新人王投票では当時22歳のトム・シーバーに敗れたものの、WARだけならルーキーとしてMLB全体トップ。10代のピッチャーとしてはMLB史に残る好成績でした。

10代&1年目でこれほどの好成績を残したわけですから将来的にサイ・ヤング賞クラスへの成長も期待されたはずですが、1968年シーズンは春季キャンプ中の寒い時期に肩を痛めシーズンを通して腕の故障に悩まさると、もちろんパフォーマンスも前年から劣化。このシーズンでは腕の痛みを押して登板することも多々あり、20歳ながらも無理をしたことが後の選手寿命を大きく縮めることになったと言われています。

故障により期待ほどの成長は見せなかったとは言え1970年に入ると1970年代最強チームのビッグレッドマシンの一員として活躍。1972年にはシーズン前半はこの年キャリアベストを残したスティーブン・カールトンとサイ・ヤング賞を争い、最終的に肩や首の故障で200イニングには到達しなかったもののリーグ2位の防御率1.99を残し第2の全盛期を迎えた感もありました。

しかし、1973年~1974年は肩の手術によりほぼ全休(肩の手術はかの有名なフランク・ジョーブが担当)。復帰後は速球の威力がほとんど失せたもののコントロールは冴えレッズのワールドシリーズ2連覇に貢献。故障の再発により1977年・若干29歳で現役を引退することとなりましたが、1983年には球団殿堂入りを果たしています。

現代のようにドラフト入団後から丁重に扱われていれば、そして1970年代のレッズ監督を「投手は痛みを我慢して投げろ!」といった考えのスパーキー・アンダーソンが務めていなければ、殿堂入りほどとは言わないもののビッグレッドマシンのエースとして歴史に名を残していたかもしれません。

Register Pitching
Year Age Tm Lg Lev W L ERA G IP H HR BB SO WHIP H9 HR9 BB9 SO9 SO/W
1966 18 Sioux Falls NORL A- 7 3 1.82 12 104.0 76 4 30 163 1.019 6.6 0.3 2.6 14.1 5.43
1966 18 Astros/Reds FLIL WRk 5 3 2.50 11 72.0 53 1 25 66 1.083 6.6 0.1 3.1 8.3 2.64
1967 19 CIN NL MLB 14 8 2.58 33 226.2 193 18 62 206 1.125 7.7 0.7 2.5 8.2 3.32
1968 20 CIN NL MLB 9 4 2.40 23 150.0 105 10 49 111 1.027 6.3 0.6 2.9 6.7 2.27
1968 20 Tampa FLOR A 0 1 3.60 2 5.0 5 0 5 8 2.000 9.0 0.0 9.0 14.4 1.60
1969 21 CIN NL MLB 8 8 3.56 16 108.2 102 11 40 83 1.307 8.4 0.9 3.3 6.9 2.08
1969 21 Indianapolis AA AAA 2 0 2.90 7 31.0 18 3 5 34 0.742 5.2 0.9 1.5 9.9 6.80
1970 22 CIN NL MLB 18 7 3.27 37 250.2 226 25 96 181 1.285 8.1 0.9 3.4 6.5 1.89
1971 23 CIN NL MLB 12 15 3.16 35 244.2 208 12 59 146 1.091 7.7 0.4 2.2 5.4 2.47
1972 24 CIN NL MLB 15 5 1.99 25 176.0 147 13 30 90 1.006 7.5 0.7 1.5 4.6 3.00
1973 25 CIN NL MLB 0 1 3.48 2 10.1 6 1 7 3 1.258 5.2 0.9 6.1 2.6 0.43
1974 26 Indianapolis AA AAA 0 0 6.00 2 6.0 6 3 3 2 1.500 9.0 4.5 4.5 3.0 0.67
1975 27 CIN NL MLB 15 9 3.16 32 210.2 202 18 29 74 1.097 8.6 0.8 1.2 3.2 2.55
1976 28 CIN NL MLB 15 9 3.46 34 239.1 232 28 27 113 1.082 8.7 1.1 1.0 4.2 4.19
1977 29 2 Teams 2 Lgs MLB 4 4 6.09 13 57.2 84 10 14 32 1.699 13.1 1.6 2.2 5.0 2.29
Year Age Tm Lg Lev W L ERA G IP H HR BB SO WHIP H9 HR9 BB9 SO9 SO/W
MLB MLB MLB   MLB 110 70 3.08 250 1674.2 1505 146 413 1039 1.145 8.1 0.8 2.2 5.6 2.52
Mino Mino Mino   Minors 9 4 2.28 23 146.0 105 10 43 207 1.014 6.5 0.6 2.7 12.8 4.81
All All All     124 77 3.00 284 1892.2 1663 157 481 1312 1.133 7.9 0.7 2.3 6.2 2.73
                                       
AAA AAA AAA   Minors 2 0 3.41 9 37.0 24 6 8 36 0.865 5.8 1.5 1.9 8.8 4.50

コメント

  1. 土屋 勇治 より:

    ブライエンテイラーに関してはヤンキースが最下位になって、68年のジムブロンバーグ以来の全体1位で、第2のギドリーになるとか、クレメンスやグッデンより素質は上と週べでも取り上げられて、騒がれていましたね。くだらない怪我をしなければ93年にはメジャーデビューをしていて、エースになっていたかもしれないし、足を高々上げる投球フォームだからコントロールが悪くて、駄目だったかもしれないし、何れにせよ怪我をしない彼を見てみたかった気もします。ヤンキースがドラフトで指名した選手の1位指名では、翌年のジーターより上の金の卵だったのは確かですね。

  2. 管理人 より:

    テイラーは故障前の成績もイマイチだったし性格も考えるとどうせ大成しなかったでしょうね。