カットボールの歴史

長い長い野球の歴史の中で誕生した数多の変化球の中で比較的最近ポピュラーとなり、今ではMLBの全投球割合の6.7%を占める球種となったカットボールの歴史をまとめました。

ちなみに、「カットボール」は和製英語であり、アメリカでは「カット・ファストボール(Cut Fastball)」や「カッター(Cutter)」と呼ばれていますが、過去に「カットボール(Cut Ball)」という呼称はボールに傷(Cut)を付けたスピットボール(不正投球)に対して用いられたことがあります。



1930年代:スライダーの誕生

それまで下手投げに限定されていたピッチャーの投球において1885年から上手投げが解禁されると、代表的な変化球であるカーブやチェンジアップに加えナックルボール、スクリューボール、フォークボール、スピットボールなど様々な変化球が誕生。

その中で利き手側に変化する変化球は全てカーブに大別され、さらに球速や変化の大小等によってドロップカーブやアウトカーブ、ファストカーブ、ショートカーブなど様々なカーブに細別化されていきました。

もちろん後にスライダーと呼ばれるような変化球を投げたピッチャーが既にいたことは想像に難くありませんが、1930年代から利き手とは反対側に比較的小さく変化し球速のあるカーブを「スライダー」と呼び、先述の様々なカーブの一種ではなく別の独立した変化球として見做されるように。

ちなみに、今では1903年~1917年にプレーした名投手チーフ・ベンダーのニッケル・カーブ(Nickel Curve)が史上初のスライダーと広く見なされていますが、個人的にはこの風潮に異論がありますね。

1930~40年代:カットボールの前身?”セイラー”

カーブからスライダーが分離すると同時期(1930~40年代)に「セイラー(Sailer)」と呼ばれる変化球も増加。

当時セイラーと呼ばれた変化球はスライダーに似た特徴を持っており、かつては「セイラー=スライダー」との考えが一般的でしたが、ビル・ジェームズとの共著「The Neyer/James Guide to Pitchers」にて変化球の歴史を調べつくした野球史研究家ロブ・ネイヤーはセイラーがスライダーよりむしろカットボールのような変化球に主に用いられた呼称だと考えているようです。

ただ、20世紀前半においては浮き上がるような速球やビーンボールなどもセイラーと呼ばれることがあり、スライダーと比べセイラーという呼称の一般的認知度は相当低かったことでしょう。

1970年:”Cut Fastball”なる名称の誕生

20世紀後半に入り「セイラー」なる呼称が球界に広く浸透することはなく、カットボールはファストスライダーやハードスライダーなどと呼ばれスライダーの一種と見なされていましたが、1970年にタイガースのミッキー・ロリッチが新たに習得した変化の小さなスライダーを「カット・ファストボール(Cut Fastball)」と自ら命名。

私の知る限り「カット・ファストボール(Cut Fastball)」なる呼称が用いられたのはこれが始めてのこと。さらに、ミッキー・ロリッチが当時説明した握りや手首・腕の振りも現代のカットボールの投法と同様のものであり、カットボールの祖をミッキー・ロリッチと考えるのがある意味自然かもしれません。

ちなみに、翌1971年はロリッチの他に「カット・ファストボール」なる呼称を使用する選手が複数人現れ、それ以降は増加の一途を辿っていくことになります。

1980年代:カットボールの普及

アメリカにおいてカットボールが一般的に普及したのは1980年代(特に中盤)のことで、ベテラン選手を含め多くの現役ピッチャーが習得に勤めました。

ただ、最近ではトミー・ジョン手術増加の主たる原因としてカットボールがやり玉に挙げられることもありましたが、1980年代当時もカットボールは肘&腕への負担が大きな変化球だと考えられていたようで、習得から時を待たずにレパートリーから外すピッチャーも少なくはありませんでした。

1990年代:略称”カッター”の浸透

「スライド・ボール(Slide Ball) → スライダー(Slider)」、「スプリット・フィンガード・ファストボール(Split Fingered Fastball) → スプリッター(Splitter)」、「ナックルボール(Knuckleball) → ナックラー(Knuckler)」など変化球のオリジナルネームに略称が設けられることはアメリカにおいて一般的ですが、「カット・ファストボール(Cut Fastball)」の略称である「カッター(Cutter)」が浸透したのは1990年代のこと。

また、マリアーノ・リベラアンディ・ペティットアル・ライターバートロ・コロンなどカットボールの名手が数多く誕生したのも1990年代のことでした。

2000年代:マリアーノ・リベラ

カットボールの代名詞であるマリアーノ・リベラの活躍により同変化球が野球界に広く浸透したと考える人もいますが、上述の通りカットボールはリベラの活躍前からアメリカ球界で存在感を示しており、リベラの存在なくともカットボールは現代野球の代表的な変化球の1つとなっていたことでしょう。

ただ、アメリカ球界に対してリベラが多大な影響を与えたことも確かで、リベラによってカットボールの真価が見出されと言っても過言ではありません。

コメント

  1. 低級ファン より:

    2020年代:イケイケ俺クラス
    プロウトことお股ニキの降臨によって「スラッター」が覇権を握り、カットボールのような敗北者は淘汰された

    • 管理人 より:

      むしろ2020年代に入ってから廃れてない?

      • 低級ファン より:

        バットに当たるスラットはゼロヒャクでいえばスラットに該当しないから被打率.000なんだが?便所磨きで魂のヴァイヴスあげてきな?

        • 管理人 より:

          令和4年にもなって今さらお股界隈弄りとか古いぞ。
          現在進行形で馬鹿にされてる自称有識者なんて他にいるじゃないの?
          特に思いつかないけど。