MLB歴代レジェンド選手のプロスペクト評価:第1弾

ライフワークとして現代だけでなく歴代の様々なプロスペクト達についてもリサーチする中で、過去にその一部を「MLB史に残るプロスペクトたち」で取り上げていたところですが、今回はMLBの歴史上でトップティアに位置するプレーヤーについて、彼らのプロスペクト時代の評価をまとめようと思い立った次第。

今回はその第1弾として、約1年前に投稿した「歴代野球選手ランキングTop100:2022年度版」の1~20位について記します。

また、イメージを掴みやすくするため、プロスペクトとしての評価や立ち位置が似通っている現代(2010年以降)のプロスペクトもピックアップ。(熟考せずに選び抜いたので、何れ修正するかもしれません。)



1.Babe Ruth

19歳でInternational Leagueの最多勝タイトルを争い、打撃成績もリーグ平均超。

当時に現行のプロスペクト・ランキングなるものが存在すれば、ほぼ間違いなく全体No.1プロスペクトに選ばれていたはず。

現代プロスペクトとのComp:大谷 翔平

2.Willie Mays

若干17歳でNegro League World Seriesに出場。

彼を担当したNYGのスカウトは” The greatest young player I had ever seen”と評し、MiLB加入後も傑出した活躍を披露。

2年目の1951年には、開幕からAAAクラス(WWⅡ直後の1946年に誕生)にてOPS 1.300超の好成績を残すと、AAA所属リーグの会長までもが「AAA誕生以来最高のプロスペクト」と絶賛。

当時プロスペクト・ランキングが存在すれば、Mickey Mantleに次ぐNo.2の座を争っていたはずで、実際にMantleのライバルと見做すメディアも少なくありませんでした。

ここら辺はBryce Harper vs. Mike TroutAndrew Jones vs. Ruben Riveraの関係性に近しいかもしれません。

現代プロスペクトとのComp:Mike Trout

3.Ted Williams

高校生在学当時から西海岸最高峰PCLに所属し、BOSと契約した1938年(当時19歳)にはAmerican Associationで三冠王を獲得。

現代で例えるならば、2018年のJuan SotoがMLBへ昇格しないままMiLBにてフルシーズンを過ごすようなイメージで、現行の評価基準であれば全体No.1プロスペクトと見做されていたことは疑いようがありません。

ただ、当時は三冠王という概念が定着していなかったこともあり、全国的に大々的な報道が行われていたかと言われると…

現代プロスペクトとのComp:Juan Soto

4.Barry Bonds

Baseball Americaの1985年ドラフト・プロスペクト・ランキングにて大学生部門第4位にランクイン。当時から性格(メイクアップ)の評判が悪く、純粋な実力だけならばNo.1との評。

翌1996年の4月に早くもMLBへ到達したため、プロスペクト・ランキングのトップティアにランクインする時間的余裕がなかったものの、現代のようなサービスタイム・コントロールを受けていれば、1997年No.1プロスペクトの座を争っていた可能性も。

現代プロスペクトとのComp:Andrew Benintendi

5.Hank Aaron

1953年に19歳でAクラスSouth Atlantic League(Aクラス)のMVPに輝き、翌年の春季キャンプでも活躍。

ST戦の好成績とBobby Thomsonの足首骨折によって、AA&AAAを飛び越え開幕スタメンの座を掴み取りました。

NBAでプレーする傍ら2度のMiLB最優秀選手に選ばれたGene Conley、2年後には史上屈指のプロスペクトと見做されるFrank Robinson、キューバのフェノムSandy Amoros、NYY傘下のGus TriandosNorm Siebernら全員を抑え、AaronがNo.1プロスペクトだったとは思えませんが、Top 10にはランクインしていたのではないでしょうか。

現代プロスペクトとのComp:Luis Robert Jr.

6.Ty Cobb

1904年(17歳)までは傑出したプロスペクトではなかったものの、1905年 South Atlantic League(Cクラス)にて首位打者を争い、シーズン終盤にはコールアップを受け、MLB最年少プレーヤーに。

コールアップ時は史上屈指の俊足と評されており、スピード―スター的な扱いを受けていた印象。

当時に現行のプロスペクト・ランキングが存在すれば、ミッドシーズンのアップデートで大幅にランクアップするような形となったことでしょう。

さらに、コールアップがもっと遅れていれば、翌年開幕時のNo.1プロスペクト最有力候補の1人となり得たはず。

現代プロスペクトとのComp:Victor Robles

7.Stan Musial

二刀流プレーヤーとしてMiLB加入時は投手職がメインであり、一足早く投手として高い評価を受けました。

ただ、肩の故障によって野手へ専念する前から打撃成績もトップクラスで、野手専念1年目(1941年)には若干20歳でInternational League上位の数字を残し、9月のMLB昇格後もOPS 1.000超の大活躍。

成績だけを見ればNo.1プロスペクトの座を争って然るべき存在に思えますが、当時の報道はさほど過熱しておらず、評価が難しいところ。

ちなみに一部では、優勝による選手年俸高騰を防ぐため、MusialをわざとMiLBへ幽閉していたとの阪神ライクな噂も。(1941年シーズンのSTLはNL第2位)

現代プロスペクトとのComp:Riley Greene

8.Mickey Mantle

野球の歴史上最高のプロスペクトを選ぶとなれば、Alex RodriguezBob Fellerらと共に最有力候補の1人に挙げられるであろう、言わずと知れた史上屈指の存在。

プロスペクト当時の桁違いの評価については、何れ「MLB史に残るプロスペクトたち」で取り上げるつもりなので割愛しますが、潤沢な資金力とディープな育成システムを武器にプロスペクト帝国を築き上げていたNYY黄金期の最高傑作であることは疑いの余地がありません。

現代プロスペクトとのComp:Bryce Harper

9.Greg Maddux

小柄な体格を理由に1985年ドラフトでは2巡目指名に終わり、プロ入り後も同様の懸念を抱かれ続け、(開幕後にMLBへ定着することになる)1987年のBaseball America球団別プロスペクト・ランキングではCHC傘下5位にランクイン。

年齢とMiLB成績だけを参照すると、最上級の投手プロスペクトと見做されるべき存在だったはずで、それほどフィジカル面が足を引っ張ったというわけですね。

現代プロスペクトとのComp:Drew Thorpe

10.Randy Johnson

Maddux同じく1985年ドラフト2巡目指名にてプロ入りを果たすと、史上最高身長ピッチャーとして話題を集め、気付けばBaseball Americaが”The Arm of the Decade”と評するほどのトッププロスペクトに。

1988年シーズン開幕前にはKen Griffey Jr.Gregg Jefferiesに次ぐNo.3プロスペクトとの評価も。

しかしながら、そう易々と制球難が改善されることはなく、Nolan RyanTom Houseの指導によって類まれなる才能を開花させるまで約5年を要しています。

現代プロスペクトとのComp:該当無し

11.Walter Johnson

1907年(19歳)、セミプロにて77イニング連続無失点の大記録を打ち立て、センセーショナルな存在として話題に。

Rube MarquardとNo.1投手プロスペクトの座を争う存在だったはずで、野手の中でこの2人を上回るプロスペクトもいなかったように思いますが、まだまだ投手が軽視されていた時代なので…。

現代プロスペクトとのComp:Jose Fernandez

12.Mike Schmidt

1971年ドラフト2巡目指名を経て、1972年PCLにてHR王のタイトルに肉薄。

当然ながらチーム内ではトップクラスのプロスペクトと見做されていますが、球界全体でも上位の存在と考えられていたかは微妙。

ちなみに、1971年はSS、1972年は2Bをメインにプレー。

22歳のミドルIFがAAA最上級の打撃成績を残したとなると、現代なら上位にランクインするだけでなく、翌シーズンのROY有力候補に挙げられるところですが…。

現代プロスペクトとのComp:Matt Chapman

13.Rickey Henderson

高校時代はフットボールにおいても競技界上位の存在でしたが、賢明にも野球の道を進みMLBドラフト4巡目指名を獲得。

MiLB加入後はA-~AAAの4階級全てにおいてAvg.300をクリアした上に、計384試合・249 SBの離れ業を披露し、センセーショナルなスピードスターとして話題になりました。

ただ、走塁面の話題・評判が独り歩きしたおかげか、はたまたパワーナンバーが伸びなかったおかげか、決してオールアラウンドな評価が抜きん出ていたわけではなく、プロスペクト・ランキングのトップティアに入るような扱いを受けていた印象はありません。

スカウティングが発達した現代でも、未だに”80 Run”タイプのエバリュエイティングは難しいからね…

現代プロスペクトとのComp:Billy Hamilton

14.Honus Wagner

当初は父と共に炭鉱で働いたため、プロ入りが21歳と遅れたものの、すぐさまAtlantic Leagueのスタープレーヤーに。

1987年(23歳)にはその人気から”Wagner Day”なるゲームデイ・イベントが設けられるほどでしたが、所属球団Paterson Silk Weaversの財政難により、売り払われる形でNL所属のLouisville Colonelsへ移籍。移籍金も2100ドルと高額でした。

プロスペクトとしてLouis Sockalexisや18歳のJimmy Sheckard、二刀流のJoe YeagerJesse Tannehill、MiLBのHR王Buck Freeman、セミプロのスター投手Rube Waddellら全員を上回っていたとは思えませんが、少なくともTop 10に入っていたのでは。

ちなみに、Paterson Silk WeaversはWagner放出の2か月後に3500ドルで身売りしています。

現代プロスペクトとのComp:Brendan Rodgers

15.Satchel Paige

ニグロリーグにおいてプロスペクト・ステータスを明確に線引きすることは不可能ですが、20歳の誕生日を迎える前に早くもニグロリーグで名を挙げ、20歳過ぎにはエースピッチャーとなっているので、素直にトッププロスペクトと呼べるような存在だったと考えるべきでしょうね。

ただ、Paigeのキャリア初期はデタラメなエピソードも少なくないので注意。

現代プロスペクトとのComp:Yadier Alvarez

16.Roger Clemens

短期大学での活躍と1981年ドラフト2巡目指名を経て、大学2年目の1982年シーズン、右肩の故障に苦しみながらも、35イニング連続無失点のNCAA記録を記録し、大学球界屈指のピッチャーへと成長。

翌1983年にはCWSの胴上げ投手となりましたが、シーズンを通して軽いスランプに陥り、ドラフトの指名順位も全体19位まで落ち込む形に。

しかし、ドラフト直後に参加したA~AAクラスであっさりと復調し、11先発・12失点の驚異的な快投を披露。BOS傘下チームで約20年に渡り監督を務めるRac Slider(当時AA監督)は「今まで見た中で最高の投手プロスペクト」と評しました。

また、翌1984年の春季キャンプ中、BOS監督のRalph HoukがDET監督時代に手掛けたMark Fidrychとの比較を要求された際、「Fidrychを上回り今まで見た中で最高の若手投手」と語っています。

現代プロスペクトとのComp:Carlos Rodon

17.Albert Pujols

短期大学所属のためか1999年ドラフトでは13巡目指名と評価が芳しくなかったものの、翌2000年はAクラス所属リーグのMVPに輝いただけでなく、シーズン最終盤にはAAA(PCL)へ到達。

さらにはそれだけで飽き足らず、PCLのプレーオフにおいてもMVPを獲得し、AFLのパフォーマンスも上々の出来。

Baseball Americaの2001年ランキングでは第42位にランクインしています。

現代プロスペクトとのComp:Pete Alonso

18.Josh Gibson

若干16歳でセミプロに加入し、18歳の時にはニグロリーグ屈指の強豪Homestead Graysの正捕手に。

当時のニグロリーグは老害社会なので、ティーンエージャーのGibsonが手放しで称賛を受けたわけではありませんが、当時リーグNo.1キャッチャーと見做されていたBiz Mackeyの成績を若干18歳で上回っていますから、異次元の存在であったことは確か。

プレーヤーとしてだけでなくプロスペクトとしてもRoy Campanellaより上だったかもしれません。

現代プロスペクトとのComp:該当なし

(結局のところ元キャッチャーのBryce Harperが一番近しいかも)

19.Lou Gehrig

(Mickey Mantleと同じく「MLB史に残るプロスペクトたち」で何れ取り上げる予定なので詳細は割愛しますが、)高校時代はNY最強校に中心メンバーとして所属し、シカゴ王者校との都市間対抗戦でグラスラを放つなど、早い段階で傑出したエリートプレーヤー。

コロンビア大学進学は二刀流のスーパースター、そして大学球界最強バッターとして「大学球界のBabe Ruth」や「Next George Sisler」と持て囃され、黄金期を迎えていたNYYに鳴り物入りで入団。

Gehrig NYY加入」のビッグニュースは西海岸も含め全国的に報じられました。

プロ入り後はEastern Leagueで頭1つ抜けた成績を残すも、長年チームの要であったWally Pippに阻まれ、レギュラー獲得が遅延。ただし、「頭痛で欠場して代役出場~」の有名なエピソードはデタラメ。

Spencer TorkelsonMiguel Cabreraにコールアップを阻まれるも最終的には順調にAlbert Pujolsへ成長したって感じですね。

現代プロスペクトとのComp:Spencer Torkelson

20.Mike Trout

過去のプロスペクト・ランキングにケチを付けるのはニワカ丸出しの愚かな行為だと重々承知しています。

でもね、Bryce HarperはまだしもMatt Mooreより下はねぇよな。