今シーズン、ジェイコブ・デグロムが防御率1.77ながらも9勝9敗という不運な結果になっていることで、1987年のノーラン・ライアン(当時40歳・アストロズ所属)の成績がたびたび比較対象に挙がっています。
この年、ライアンは防御率2.76(最優秀防御率、リーグで防御率2点台はライアンのみ)、ERA+142、FIP2.47、270奪三振(最多奪三振)、奪三振率11.5(当時のMLB記録)、K/BB3.1(リーグ1位)、fWAR6.4(リーグ投手1位)とサイ・ヤング賞級の成績を残しましたが、8勝16敗(勝率.333)という信じられないほど不運な結果となりサイ・ヤング賞投票では5位でした。
しかし、ノーラン・ライアンの不運はこの年で終わったわけではありません。その2年後の1989年シーズン、ライアンは32回の先発中6回でノーヒットノーラン達成をギリギリで逃しています。今回の記事ではこの不運で奇妙な1989年シーズンを取り上げました。
☝1989年、42歳史上最年長でシーズン300奪三振を記録した時の動画
1989年のシーズン成績
指標名 | 防御率 | ERA+ | 奪三振 | K/9 |
成績 | 2.91 | 140 | 301 | 10.6 |
リーグ内順位 | 5位 | 6位 | 1位 | 1位 |
指標名 | WHIP | 被打率 | 四球 | イニング |
成績 | 1.01 | .184 | 98 | 239.1 |
リーグ内順位 | 1位 | 1位 | 2位 | 8位 |
指標名 | FIP | FIP- | fWAR | rWAR |
成績 | 2.51 | 66 | 7.0 | 5.1 |
リーグ内順位 | 2位 | 1位 | 2位 | 7位 |
1987年と1988年に2年連続で奪三振王に輝き42歳で開幕を迎えたライアン。最速98マイルのフォーシームとMLB屈指のカーブとチェンジアップを武器に奪三振数、K/9、WHIP、FIP-など様々な指標でリーグトップとなり、サイ・ヤング賞投票では5位。42歳としてはMLB史上最高ともいえるシーズン成績を残しました。(2005年のロジャー・クレメンスが対抗候補)
しかし、MLB記録となる通算7回のノーヒットノーランを達成したことで有名なライアンですが、上でも述べたようにこのシーズン中6回(1月に1回ペース)もノーヒットノーランをギリギリで逃すという不運に見舞われました。以下ではその6回の先発について詳しく取り上げます。
4月12日:ブリュワーズ戦
イニング | 失点 | 被安打 | 奪三振 | 四球 | 球数 |
8.0 | 0 | 1 | 15 | 2 | 135 |
シーズン2回目の先発で3000本安打打者のロビン・ヨーント要するブリュワーズとアウェーで対戦。
7回終了時点で無安打14奪三振1四球と完璧な投球を見せたライアンですが、8回の先頭打者を歩かせると次打者のテリー・フランコーナにシングルヒットを許し8回無死でノーヒットノーランを逃しました。
ちなみに、フランコーナはこの年OPS.577、打率.232しか打てておらず翌年には若干31歳で引退しています。また、ロビン・ヨーントはライアンに対し3打席無安打2三振という結果に終わりました。
4月23日:ブルージェイズ戦
イニング | 失点 | 被安打 | 奪三振 | 四球 | 球数 |
9.0 | 1 | 1 | 13 | 3 | 130 |
1度目のノーヒットノーラン未遂から11日後にシーズン4回目の先発としてこの年本塁打王になったフレッド・マグリフ要するブルージェイズとアウェイで対戦。
2回に3者三振を記録するなど支配的なピッチングを見せ8回終了時点で無安打13奪三振3四球。9回に入ると先頭打者をサードへの内野フライに抑えノーヒットノーランまであとアウト2つ。しかし、ここまで122球投げており次の打者のネルソン・リリアーノ(2番)にライトライン際に三塁打を許し9回1死でノーヒットノーランを逃しました。また、次の打者のゴロアウトの間にそのリリアーノを帰してしまい完封も逃しています。
ちなみに、リリアーノの1989年シーズンOPSは.707、打率は.263でした。
6月3日:マリナーズ戦
イニング | 失点 | 被安打 | 奪三振 | 四球 | 球数 |
9.0 | 1 | 1 | 11 | 2 | 111 |
シーズン11位回目の先発としてマリナーズとアウェイで対戦。5番に19歳1年目のケン・グリフィーJr、9番に22歳1年目オマー・ビスケルと二人のレジェンドルーキーがスタメンに名を連ねる興味深い打線でした。
この試合ではほかの試合と打って変わって初回先頭打者のハロルド・レイノルズ(この年打率.300)にシングルヒットを許します(レイノルズはエラーにより生還)。しかし、その後は打者有利のキングドーム(SEA本拠地)を物ともせず完璧な投球を見せ、レイノルズ以外に1本もヒットを打たれることなく気が付けば1安打完投。111球で完投はライアンにしては省エネ投球でした。
6月25日:インディアンズ戦
イニング | 失点 | 被安打 | 奪三振 | 四球 | 球数 |
8.1 | 2 | 3 | 7 | 1 | 99 |
この年得点がア・リーグ最下位、OPSがリーグでブービーだった弱小インディアンズ打線とシーズン15位回目の先発試合で対戦(ホーム)。奪三振こそ少なかったものの8回1死までノーヒットノーランを記録。しかし、7番打者のブルック・ジャコビー(この年OPS+114)に内野安打を許し8回1死でノーヒットノーランを逃しました。
また、9回の先頭打者にシングルヒットを許すと9回1死1塁から2ランホームランを打たれ完封すら逃しました。さらに、ライアンにとって99球はこのシーズンの最小投球数でした。
8月10日:タイガース戦
イニング | 失点 | 被安打 | 奪三振 | 四球 | 球数 |
8.1 | 1 | 2 | 13 | 6 | 148 |
前回のインディアンズ戦と同じように、この年OPSがリーグ最下位だった弱小タイガース打線とホームで対戦。(弱小打線と言ってもアラン・トランメル、ルー・ウィテカー、フレッド・リンなどの名選手が所属)
3回に1イニングで3人を歩かせるなど本調子ではなく8回終了時点で12奪三振を記録したもの、四球は6個を数え球数は138。しかし、何故かヒットは1本も許していませんでした。
結局、9回の先頭打者を三振に抑えますが体力的に厳しかったのか、次の打者デーブ・バーグマン(この年OPS+102)にシングルヒットを許し9回1死でノーヒットノーランを逃しました。
また、その次の打者に二塁打を許し降板。148球を要しながらも完投することは出来ませんでした。
9月30日:エンゼルス戦
イニング | 失点 | 被安打 | 奪三振 | 四球 | 球数 |
9.0 | 0 | 3 | 13 | 0 | 120 |
シーズン161試合目最後の登板で古巣のエンゼルスと対戦。この試合までにライアンは288奪三振を記録していました。
投球内容はまさに1989年シーズンの集大成ともいえるもので8回1死までパーフェクトを記録。8回1死から名打者ブライアン・ダウニングとダンテ・ビシェットに2者連続でヒットを許し完全試合を逃しますが、次から2者連続で三振に抑えシーズン299奪三振で9回に入ります。
そして、9回の先頭打者を三振に獲り42歳でシーズン300奪三振を記録(上の動画)。そのままこの回を無失点に抑えシーズン2度目の完封を達成しメモラビリアな1989年シーズンを終えました。(7月6日にもエンゼルス戦のおいて9回3安打で完封)
このシーズン、ライアンは先発1試合当たり平均127球を記録(100球未満は上の1試合にのみ)するなど42歳の剛速球投手とは思えないスタミナを見せつけました。とりわけ8月終盤~9月前半の酷使っぷりは😱😱😱
8月27日(中4日):147球(8.1回)
9月2日(中5日):146球(8.0回)
9月4日(中4日):150球(6.1回)
9月12日(中4日):164球(8.0回)
今回取り上げたノーヒットノーラン未遂6回のうち5回は8回以降に初安打を許したものですし、もっとライアンが体力を温存できるような起用法なら本当にノーヒットノーランを何回か達成出来ていたかもしれませんね。
👇ライアンの1989年投球数別先発数(32試合先発、1試合だけ投球数不明)
160球以上:1回
150球以上:2回
140球以上:7回
130球以上:16回
120球以上:21回
110球以上:26回
100球以上:30回
<最後に>
1989年あと1歩でノーヒットノーランを逃し続けたライアンですが、1990年6月と1991年5月に43歳と44歳でノーヒットノーランを1度ずつ達成。また、1991年の7月にはキャリア最後のノーヒットノーラン未遂(8回無死で初安打)を起こしました。