メル・オット:MLBレジェンド選手紹介

Embed from Getty Images

メル・オット

本名:メルヴィン・トーマス・オット
175㎝・77㎏/1909年3月2日生/ルイジアナ州グレトナ
1926年~1947年/ライト(サード、センター)/右投左打/ジャインツ
Baseball Referance
Fangraphs

概要

ロジャー・ホーンスビー引退後のNL最強打者としてホームラン王を6回獲得したジャイアンツ史上最大の人気バッター。また、史上最も優れた若手選手の一人でもありました。


経歴

デビュー前

1909年ルイジアナ州ニューオーリンズ郊外の田舎町グレトナで生誕。父親は綿実油工場に勤めながらメルの叔父と共にセミプロ野球チームでプレーをするアスリートで、メルも父親の影響を大きく受けスポーツに打ち込むことになります。体格に恵まれなかったものの高校では野球のほかにバスケットボールとアメリカンフットボールでもプレーし、野球部では強打のキャッチャーとして活躍。この頃はセミプロのチームでもプレーしており、若干14歳で野球から収入を得ていました。

16の時にルイジアナ州パターソンのセミプロチームでプレーしましたが、なんとこのチームのオーナーであるハリー・ウィリアムズがあのジョン・マグロー(∗1)の親友。1925年9月、そのウィリアムズの推薦によりマグロー率いるニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)の練習に参加すると、マグローやフランキー・フリッシュ(∗2)に大きなインパクトを与え、若干16歳でNL最強チームのジャイアンツ入りが決定することとなりました。

MLBデビュー後

1926年の春季キャンプでマグローの指示により外野手にコンバート。また、マグローがマイナーリーグの監督にこの才能を潰されたくないと考えメジャーにキープ、マイナーでプレーすることは一生ありませんでした。この年に17歳でMLBデビューを果たすものの、最初の2年間はベンチプレーヤー。しかし、ベンチではマグローの隣に座らされ、この偉大な監督から英才教育を受けることになります。

そして1928年にライトのレギュラーに定着すると、若干19歳ながらもリーグ屈指の打者として活躍しOPS+139を記録。これはMLBの10代選手最高記録となっています。翌年には20歳で42本塁打、OPS+165を記録し四球でリーグトップに。もちろん42本塁打は20歳以下のMLBシーズン記録です。

1932年に初のホームラン王に輝くと1942年までに6回ホームラン王となり、その間にはrWAR野手リーグ1位に4回、OPS+リーグ1位に5回なっています。また、1933年にはキャリア唯一のワールドシリーズ優勝を経験。5試合でOPS1.222というMVP級の成績を残し優勝に貢献しました。ただ、不運なことにシーズンMVPは1度も獲得できず。

最後にホームラン王となった1942年からは選手兼任監督に就任。1943年にストレスにより胃の病気になるなどこれと言って特筆できるような結果は残せませんでした。しかし、打者としては非常に優秀で1945年には通算500本塁打、OPS+151を記録しました。

ただ残念なことに、1946年以降は慢性的な足の故障により成績が急降下。1947年に選手としては引退となり監督に専念することになります。通算ホームランは511本。引退時、この数字はベーブ・ルース(714本塁打)、ジミー・フォックス(534本塁打)に次ぐ歴代3位の記録でした。

引退後

選手としての引退により監督に専念するも選手兼任時代と同じように結果を残すことはできず、チーム内外からの非難の声も強まり1948年シーズン途中に解任。後任には既にドジャースで実績を残していたレオ・ドローチャー(∗3)が就任しました。ただ、1949年には彼の背番号4番がジャイアンツの永久欠番となっています。

その後はジャイアンツに残り1950年までカール・ハッベル(∗4)と共に下部組織の運営に携わりますが、1951年~1952年にパシフィックコースト・リーグのオークランド・オークスの監督を務め、その途中の1951年に投票対象4年目で87.2%の得票率を獲得し殿堂入りを果たしました。1956年からはデトロイト・タイガースのテレビ&ラジオ中継の解説者を務め人気を博します。

しかし、1958年のある日にセントルイス湾沿いの彼の別荘建築の進歩状況を確認しに行った帰り、高速道路上で対向車と衝突し僅か49歳でこの世を去りました。話によるとその日は霧が濃くて視界が非常に悪かったようです。

(∗1)ジョン・マグロー
当時野球界最高の監督として歴代2位の2763勝を記録した伝説的な名将。

(∗2)フランキー・フリッシュ
殿堂入りも果たした名セカンド。当時はジャインツのキャプテンを務めていました。

(∗3)レオ・ドローチャー
歴代10位の2008勝を記録。ジャインツ入り前は選手兼任監督としてブルックリンドジャースをリーグ優勝に導いた経験がありました。

(∗4)カール・ハッベル
1930年代のジャイアンツの絶対的エース。チームメイトのオットとは対照的に2回MVPに輝いています。


プレースタイル

非常に独特で変則的なバッティングフォームが有名な選手で、日本でいうところの1足打法。上の動画でも分かるように右足を大きく上げ、反対にバットは一度太ももの高さまで下げる変則的な動作から驚異的なスイングスピードを生み出しました。プルヒッターであり、両翼の狭いジャイアンツの本拠地ポログランズに最適のバッター。また、変則的なフォームにも関わらず非常に選球眼に優れ、四球が多く三振は少ない理想的なバッターでした。

守備について語られることは少ないですが、外野手として刺殺と併殺で2回ずつリーグトップになっており、とりわけ強肩の評価は高くビルジェームズは1930年代のBest Outfield Armに彼を選んでいます。ただ、刺殺の多さはポログランズの右翼の狭さが影響しているような気がするので数字を鵜呑みにするのは✖。また、レンジファクターなどの値はイマイチでした。1938年にはチーム状況からサードにコンバートされて、最終的に通算で256試合サードを守りました。その1938年のサード守備率.957はリーグ2位の好成績。


人物

田舎気質の物静かで穏やかな性格で相手選手からもナイスガイと言われた人物。そのため当時の野球界で最も人気のある選手の一人であり、12年連続でオールスターゲームに選出。さらに、1938年にシリアル会社が各ポジションで最も人気のある選手を決める投票を行いましたが、オットはライトとサードの両ポジションで最多得票を獲得しています。また、1944年に行われた戦争公債購入者による全国投票ではベーブ・ルースやルー・ゲーリッグ、ジョー・ルイス(ボクシング)、マンノウォー(競馬)らを抑え「史上最も人気のあるスポーツヒーロー」に選ばれました。

しかし、監督時代は監督業が性に合わなかったのか師匠のジョン・マグローを真似たのかは分かりませんが選手にきつく当たっており、選手を公然の場で非難したり多額の罰金をかしたりすることもありました。

私生活では妻ミルドレッドとの間に二人の娘を儲けました。


私の評価

「歴代野球選手ランキング」:39位

間違いなく1930年代のNL最強打者。とりわけ20歳での成績はすさまじく、20歳時点では史上最高の打者の一人でしょう。また、約18シーズンにわたって好成績を残し続けた安定感・耐久力も評価されるべきです。

MVPこそ受賞していませんが四球数が評価される現代なら複数回受賞していたはず。3000本安打も記録していませんが、これは四球が非常に多いため。もしここまで四球を選んでいなければ安打数だけでなく本塁打数も大きく伸びていたはずで、ホームラン王にあと4回はなっていたでしょう。

しかし、彼を評価するうえで非常に面倒なファクターがありそれは本拠地のポログランズ。ポログランズは下の写真のようにいびつな形状で右翼がたった79m(258フィート)しかなくプルヒッターに超が付くほど有利な球場でした。実際に、オットのホーム/アウェイ成績は本塁打で323/188、OPSで.979/.918とこのポログランズに大きく助けられていることが分かります。まあアウェイでも本塁打数以外は非常に優秀な成績なんで大きなマイナス要素にはならないですけど。


記録

通算記録
rWAR:107.8:歴代22位、ライト歴代4位
fWAR:110.5:歴代22位、ライト歴代4位
511本塁打:歴代22位(引退時は歴代3位)
wRC+156:歴代17位(引退時は歴代7位)
1708四球:歴代7位
捕殺3955個:ライト歴代8位
刺殺256個:歴代21位

シーズン成績
rWAR野手リーグ1位:5回
rWAR野手リーグ5位以内:12回
OPS+リーグ1位:5回
ホームラン王:6回
ホームラン数リーグ2位以内:13回(これ以上の記録はベーブ・ルースの15回のみ)
出塁率リーグ1位:4回
四球リーグ1位:6回
四球リーグ3位以内:16回(これ以上の記録はバリー・ボンズの17回のみ)
刺殺リーグ1位(外野手):2回
併殺リーグ1位(外野手):2回


参考文献・サイト

・「Baseball: The Biographical Encyclopedia」Matthew Silverman著

・「The New Bill James Historical Baseball Abstract」Bill Jmaes著

・「Mel Ott: The Little Giant of Baseball 」Fred Stein 著

・「SABR BioProject」https://sabr.org/bioproj/person/3974a220

・「ESPN」http://www.espn.com/mlb/player/bio/_/id/26013/mel-ott