21~30位:ヤンキース歴代選手ランキングTop30

新たなランキング企画として「ヤンキース歴代選手ランキングTop30」を作りました。評価対象はヤンキースで残した成績のみで、他チームでの成績は全く考量していません。

惜しくも30位以内に入らなかった選手たち

ハーブ・ペノック、ボブ・ショーキー、CC・サバシア、ロジャー・マリス、レジー・ジャクソン、ボビー・マーサー、エルストン・ハワード、リッチー・ゴセージ、メル・ストットルマイヤー、ジャック・チェスブロ、トミー・ヘンリック、ウェイト・ホイト、スパット・チャンドラー、デーブ・リゲッティ、ボブ・ミューゼル、ハンク・バウアー、ウォーリー・ピップ、ポール・オニール、デーブ・ウィンフィールド


30位:アール・コームス

1924年~1935年:センター:rWAR=42.5、fWAR=41.3
Baseball Reference選手ページ

MLB定着は25歳と遅かったものの、ヤンキースの第一次黄金期において絶対的な一番センターとしてベーブ・ルースやルー・ゲーリッグ共に活躍。謙虚かつ紳士的な性格で素晴らしいチームプレーヤーだったと言われています。史上最強チームと呼ばれた1927年には231安打を記録し最多安打のタイトルを獲得。

1934年のシーズン途中に外野フェンスに突っ込み頭蓋骨を骨折するなどの大怪我を負って野球選手としての寿命を縮めてしまったのは残念。この怪我がなければ20位内にランクインしていたかもしれません。


Embed from Getty Images

29位:ブレット・ガードナー

2008年~2018年:レフト:rWAR=37.7、fWAR=33.0
Baseball Reference選手ページ

気付けばなんだかんだでヤンキース一筋11年。キャリア前半にはMLB・No.1の外野守備に加えて俊足・選球眼を活かして活躍。キャリア後半には打球角度を上げることに成功し本塁打を増加させました。(マイナスポイントはPSでの成績。)

肩が弱いためにレフトとして起用されてきましたが、実際はセンター守備も非常に優秀。もしキャリアを通してセンターとしてプレーしていればもっと評価されていたはずです。

あとはただ単に俺が好き。


Embed from Getty Images

28位:ギル・マクドゥーガルド

1951年~1960年:セカンド/サード:rWAR=40.7、fWAR=39.7
Baseball Reference選手ページ

1年目にヤンキース初の新人王を受賞。その後も平均以上の打撃力と優れた内野守備力を活かし安定して好成績を残し、人格面にも優れ慈善活動にも熱心でした。また、右打者不利のヤンキースタジアムに苦しめられた多くの右打者のうちの一人であり、ホームでの通算OPSは.680ですがアウェイでは.847。(ちなみに、1955年に打撃練習の打球を頭に受け聴力が低下。引退後にはほとんど失聴。)

ただ、1961年の球団エクスパンションのドラフトにおいてカリフォルニア・エンゼルス(今のロサンゼルス・エンゼルス)から指名を受けますが拒否して引退。このときまだ32歳でした。

もしヤンキースタジアムでプレーしていなければ、もしエクスパンションがなければ、もし聴力が低下していなければ、もっと偉大な選手になっていたかもしれません。


27位:レフティー・ゴメス

1930年~1943年:先発:rWAR=38.5、fWAR=30.5
Baseball Reference選手ページ

1930年代のエースピッチャー。最優秀防御率のタイトルを2度獲得しており、もしこの時代にサイ・ヤング賞があれば1~2回受賞していたでしょう。(1972年にベテランズ委員会により殿堂入り。)ただ、最低クラスのバッティングはマイナス要素。

当時は球界最高の投手の一人として扱われていましたが非常にユーモラスな性格で、もし今の時代のようにテレビやSNSが発達していればもっと人気があったのでは?


Embed from Getty Images

26位:リッキー・ヘンダーソン

1985年~1989年:センター/レフト:rWAR=30.9、fWAR=29.7
Baseball Reference選手ページ

アスレチックスで5年連続の盗塁王に輝き1984年オフにヤンキースにトレード。ヤンキースでは1985年(80個)、86年(87個)、88年(93個)に盗塁王となり、この3シーズンの盗塁数はチーム盗塁シーズン記録Top3を占めています。また、ヤンキース移籍後に突如長打力が向上。24本塁打を記録した1985年のrWAR=9.9、fWAR=9.7はALトップの数字でした。

ただ、ヤンキースは1989年から低迷期に入り、ヘンダーソンも1989年シーズン途中に当時のMLB最強チームになっていたアスレチックスにトレード。翌年の1990年には自己ベストの成績を残しMVPを受賞しているので、ヤンキースにとっては大失敗のトレードでした。