惜しくも実現しなかったレジェンド選手のヤンキース入団


Greg Maddux(1992年オフ)、George Brett(1982年オフ)、Satchel Paige(1946年)

20年後に殿堂入りを果たすであろうJuan Sotoを獲得したNYY。

TDLでコンテンダーに放出されるまで活躍が楽しみで仕方ありませんが、今回はSotoと反対に惜しくもNYY入団が実現しなかったレジェンド・プレーヤーを取り上げます。



Pedro Martinez(1997年オフ)

Year Age Tm W-L% ERA G IP H HR BB SO ERA+ FIP WHIP BB9 SO9 SO/W
1995 23 MON .583 3.51 30 194.2 158 21 66 174 123 3.90 1.151 3.1 8.0 2.64
1996 24 MON .565 3.70 33 216.2 189 19 70 222 117 3.27 1.195 2.9 9.2 3.17
1997 25 MON .680 1.90 31 241.1 158 16 67 305 219 2.39 0.932 2.5 11.4 4.55
1998 26 BOS .731 2.89 33 233.2 188 26 67 251 163 3.40 1.091 2.6 9.7 3.75

当時MON(モントリオール・エクスポズ)に所属していたPedro Martinez

1997年・25歳にしてブレイクを果たし、チーム史上唯一となるCYA獲得を果たしたのですが、貧乏球団MONはストライキによる年俸高騰に耐えられず、シーズン終了後のファイヤーセールを決断。

その目玉となったのが、FAまで1年を残すMartinezでした。

同オフはRandy JohnsonKevin Brownもトレード市場に繰り出すなど歴史に残るほど投手市場が豊作だったのですが、争奪戦では地区2位に終わりWS連覇を逃していたNYY、そして豊富なプロスペクトを抱えるBOSのライバル球団がフロントランナーに。

そして、この争奪戦の中でMONがNYYに対し提示したトレードパッケージが下記の通り。

MONが提示したトレード案

NYY   MON
 Mariano Rivera


🔁



  Pedro Martinez
 Jorge Posada
 Eric Milton
(下記のいずれか1人)
  Ricky Ledee
  Mike Lowell
  Ramiro Mendoza

既にMLB屈指のリリーバーへと成長していたRivera、翌1998年にJoe Girardiから正捕手の座を奪うPosadaと”Core Four”の2/4を要求。

さらに、Miltonは当時のBA100で25位にランクインするトッププロスペクトであり、LedeeLowellもBA100に含まれるプロスペクト。

今オフのNYYで例えるとMichael KingAustin WellsJasson DominguezSpencer Jonesといった感じかな。

CYAウィナーといえども1年レンタルとしては過剰なこの要求を突っ撥ねたNYYはRandy Johnson争奪戦へシフト。

その数日後には、球界Top10クラスのプロスペクトCarl PavanoとBA100に入るTony Armasを差し出したBOSが掻っ攫い、トレード直後に当時史上最大規模の超大型契約となる6年$75Mでエクステンション。その後の活躍は言わずもがなです。

MONのファーストオファー?は過剰な要求ですが、Randy Johnsonというセカンドオプションが存在しなければ、NYYがBOS以上のパッケージを用意した可能性は十分。

ただ、その場合にRiveraPosadaのどちらか一方は少なくとも放出されていたはず。

つまり、多くの偉大なるプレーヤーが絡み合った結果、Martinezではなく”Core Four”を中心とした黄金期を迎えるわけです。

また、BOSはハナからエクステンションありきで争奪戦に参戦していたようですが、NYYのエクステンションに対する熱量は不明。

トレードの締結も11月18日と非常に早く、短期的かつスピーディーな”争奪戦”であったことも特徴的。

(同オフのRandy Johnsonに関するトレード交渉については次の機会に)


Walter Johnson(1919年オフ)

Year Age Tm ERA G IP H HR BB SO ERA+ FIP WHIP BB9 SO9 SO/W
1917 29 WSH 2.21 47 326.0 248 3 68 188 120 1.98 0.969 1.9 5.2 2.76
1918 30 WSH 1.27 39 326.0 241 2 70 162 214 2.03 0.954 1.9 4.5 2.31
1919 31 WSH 1.49 39 290.1 235 0 51 147 215 2.07 0.985 1.6 4.6 2.88
1920 32 WSH 3.13 21 143.2 135 5 27 78 119 2.84 1.128 1.7 4.9 2.89

1920年1月5日、BOSとのトレードにてNYYがBabe Ruth獲得のスラムダンクを決め、野球の歴史が塗り替えられるその陰で、同じくNYYのターゲットとなっていたのがWSH(ワシントン・セネターズ)のWalter Johnsonです。

1910年代の10シーズン中8シーズンで二桁rWARに到達し、計117.3 rWARを稼ぎ出すなど、球界のエースとして君臨していたJohnsonですが、不人気球団WSHのチーム成績は低迷。

さらに、1919-20年オフに入るとオーナーグループ内で内紛が勃発。

その影響かチーム史上唯一のスーパースターであったJohnsonにも放出の噂が流れ、その中で放出先の最有力候補と見做されたのがNYYでした。

確証はありませんがワシントンの地元大手メディアの報道によるとNYYはJohnsonの対価としてキャッシュ$30K、投手2人、野手2人のオールランドなパッケージを提示したとのこと。

特に当時球界屈指の2BであったDel Prattがメインピースだったようで、WSHは若手より主力級のプレーヤーを欲していた模様。

また、キャッシュ$30KはBabe Ruthの対価$100K、そして1919年シーズン途中のCarl Mays獲得の際にBOSへ若手投手2人と共に支払った$40Kに比べると控えめな数字。

結局のところ、散財によるチーム強化に前向きだったClark Griffithがチームの実権を握ったためか、それ以上にトレード交渉が進むことはなかったようですが、肝心のJohnsonは1920年シーズンを通して故障に苦しみ成績低下。

その後も全盛期の力が戻ることはありませんでした。

ちなみに、Del Prattは1年後の1920-21年オフ、後にNYYのエースへと成長して殿堂入りも果たすWaite Hoytの対価として用いられており、トレード交渉決裂はNYYにとってプラスだったかもしれません。


Barry Bonds(1992年オフ)

Year Age Tm G PA H HR SB BB SO BA OBP SLG OPS OPS+
1990 25 PIT 151 621 156 33 52 93 83 .301 .406 .565 .970 170
1991 26 PIT 153 634 149 25 43 107 73 .292 .410 .514 .924 160
1992 27 PIT 140 612 147 34 39 127 69 .311 .456 .624 1.080 204
1993 28 SFG 159 674 181 46 29 126 79 .336 .458 .677 1.136 206

1992年7月にGeorge Steinbrennerの球界追放処分撤回を受け(正式には翌1993年3月1日付で復職)、長きに渡る暗黒期脱却へ向けて大補強を繰り広げた1992-93年オフのNYY。

結果としてPaul O’NeillJimmy KeyWade BoggsJim Abbottらスタープレーヤーを立て続けに獲得し、1990年代中盤における復権への礎を築いたわけですが、過去3年間に2度のMVPに輝き同オフ最大の目玉プレーヤーと見做されていたのがBarry Bondsでした。

球界No.1のプレーヤーとしてオフシーズン開始前から史上最高額契約が約束されていたBondsの争奪戦では、早い段階で契約候補がNYYとSFGの2チームに絞られ、NYYはSFGに先んじて5年$36Mをオファー。

しかし、Bonds側は6年$42~43M要求し、5年契約を固辞したNYYは争奪戦から撤退。

そして、1週間後にSFGと6年$43.75Mのレコードディールを結ぶ運びとなりました。

今から見ればチーム史に残る大失態ですが、当時のNYYは未来を嘱望されていたBernie Williamsを抱えており、Bondsへエンゲージしなかったのはリーズナブルな判断である印象。

また、同オフに獲得した上記4人の内Abbottを除く3人は移籍後に大活躍を見せているため、Gene Michael GMの手腕は見事と言わざるを得ません。