31位~40位:歴代野球選手ランキングTop100


40位:ジョージ・ブレット
 
1973年~1993年:サード/ファースト:rWAR=88.7、fWAR=84.6

 
 ロイヤルズ一筋21年、フランチャイズの全盛期のスーパースターとしてチームを支えた「ミスター・ロイヤルズ」。3つのディケイドで首位打者を獲得するなど息の長い活躍を見せ、1980年には打率.390を記録しましたが、この年のOPS+203は70年代~80年代唯一のOPS+200越え。このシーズンを含めOPSリーグ1位を3回記録しています。
 ただ、案外怪我による欠場が多かったのはマイナスポイント。

39位:メル・オット
 
1926年~1946年:ライト:rWAR=107.8、fWAR=110.5

 若干17歳でデビューすると20歳でリーグトップクラスの打撃成績を記録。その後、15年以上にわたって球界トップクラスの強打者として活躍し本塁打王を6回獲得。通算511本塁打はウィリー・メイズに塗り替えられるまでNLの最多記録でした。また、長打力だけでなく出塁能力も優れており、10シーズンで100四球以上を記録していて、18年連続でOPS+リーグ10位内に入っています(3位以内は10回)。
 ただ、本塁打数に関してはポログラウンズ(引張方向に本塁打が非常に出やすい)でプレーしたことが大きく影響しており、ホームでの通算本塁打数は323本ですがアウェイでは188本しか打てていません。
 また、今では実績の割に知名度が低くなっていますが、現役時代は最も人気のある選手の一人。1938年にシリアル会社が各ポジションで最も人気のある選手を決める投票を行いましたが、オットはライトとサードの両ポジションで最多得票を獲得しています。さらに、1944年に行われた戦争公債購入者による全国投票ではベーブ・ルースやジョー・ルイス、マンノウォーらを抑え「史上最も人気のあるスポーツヒーロー」に選ばれました。

38位:ピート・アレキサンダー
 
1911年~1930年:先発:rWAR=120.2、fWAR=96.5
 

 ウォルター・ジョンソンと同時代に活躍しMLBデビューが遅かったものの素晴らしい通算成績を残しました。クリスティー・マシューソンと同じようにこの時代にサイヤング賞があれば5回程度受賞していたでしょう。また、ワールドシリーズでも素晴らしい成績を残しています。
 1918年に第一次世界大戦に従軍。前線でドイツ軍と戦ったために毒ガスに侵され砲撃によるストレス・難聴にも苦しみ、その後遺症によりアルコール中毒やてんかんになったことで、のちの選手生活に大きな悪影響を与えました。

 
37位:ボブ・ギブソン
 
1959年~1975年:先発:rWAR=89.4、fWAR=82.3

 豪快なフォーム、剛速球、史上最高クラスのスライダー、喧嘩腰のピッチングにより今でも根強い人気を誇る20世紀後半No.1黒人ピッチャー。
 デビュー当初は監督が人種差別主義者のSolly Hemusだったために出場機会に恵まれませんでしたが、3年目にはエース級の成績を残しその後10年以上にわたってカージナルスの主力として活躍。rWARで3度リーグトップになりました。とりわけ1968年の成績は史上最高クラス。(ただ、1968年は超が付くほどの投高打低)
 WSでの成績も非常に優秀で通算9先発・81イニングで防御率1.89を記録し、2度WSMPVに輝きました。また、バッティングも得意で通算OPSは.545。さらに、守備も上手くGG賞を8年連続で受賞しています。
 ちなみに、好戦的だったことを示すエピソードとして投球前に打者を睨みつけていたことがよく語られますが、実際には目が悪くてキャッチャーのサインが見えにくく険しい顔になっているだけでした。
 

36位:ロベルト・クレメンテ
 
1955年~1972年:ライト:rWAR=94.5、fWAR=80.6
 

 ロベルト・クレメンテ賞に名を残す名選手で、飛行機事故に関するエピソードはMLBファンなら誰でも知っている話でしょう。
 飛び抜けた打撃成績の残したシーズンはありませんが、4回首位打者に輝き通算3000本安打を達成。最終年もwRC+138を記録しており、命を落としていなければ通算記録はさらに伸びていたでしょう。
 また、史上最高とも言われるライト守備も有名であり、GG賞を最終年まで12年連続で受賞(外野手最多記録)、通算TZR+204は歴代No.1の数字です。さらに「ライフルアーム」と称された史上最高クラスの強肩の持ち主でもあり通算刺殺数は1930年以降では断トツで外野手No.1。

35位:カール・ヤストレムスキー
 
1952年~1968年:レフト:rWAR=96.4、fWAR=94.8
 

 非常に頑丈な選手であり、レッドソックス一筋23年、44歳まで現役を続け、3308試合(歴代2位)、13992打席(歴代2位)、3419安打(歴代9位)、1845四球(歴代6位)と素晴らしい通算成績を残しただけでなく、1967年に三冠王になったことで有名な選手です。
 また、GG賞を7回受賞するなどレフト守備も非常に優れており、レフトでの通算TZR+135はバリー・ボンズに次ぐ歴代2位の数字となっています。

 

34位:ケン・グリフィー Jr
 
1989年~2010:センター:rWAR=83.8、fWAR=77.7

 言わずと知れた1990年代MLB最大のスター選手。ドラフト全体1位&19歳デビューと史上最高クラスのプロスペクトであり、30歳まではオールラウンダーとしハイペースで通算成績を伸ばしまた。しかし、30歳ごろから毎年のように怪我に悩まされ、さらに体重も増加して信じられないようなスピードで劣化。通算630本塁打も本来ならスゴいんですが、20代での成績を考えると・・・。
 

33位:カル・リプケン Jr
 
1981年~2001年:ショート:rWAR=95.9、fWAR=92.5

 2630試合連続出場記録で有名ですが成績も素晴らしい選手であり、この100年間では最も偉大なショート。とりわけMLB定着後の10シーズンでwRC+125、259本塁打を記録。通算でも3000本安打、400本塁打、600二塁打、wRC+110をクリアしています。
 また守備も非常に優れており、ショート守備は小柄な選手が有利という常識を打ち破った選手。広い守備範囲と強肩だけでなく、相手打者の打球方向の傾向を研究して適切なポジショニングを行うなど野球IQも兼ね備えており、ショートとしての通算TZR+176はオジー・スミスとマーク・ベランジャーに次ぐ歴代3位の数字。ショートでのTRZでリーグ1位に5回、2位に4回なっておりGG賞2回は少なすぎるのではないでしょうか。

32位:アレックス・ロドリゲス
 
1994年~2016年:ショート/サード:rWAR=117.8、fWAR=113.5

説明不要。

31位:サンディ・コーファックス
 
1955年~1966年:先発:rWAR=49.0、fWAR=54.5
 
 史上最高の投手に挙げられることも多い60年代No.1ピッチャー。ピークの約5年間だけの話ならMLBの歴史上でもペドロ・マルティネスと一二を争う成績を残していますが、本格化が遅かったことと肘の怪我により若干30歳で引退したことにより通産成績は微妙。

 WSでは2度MVPに輝くなど8試合57イングで防御率0.95を記録。WS優勝を3回経験しています。
 また、1962年からの成績向上はピッチングスタイルの変更が大きな要因ですが、ドジャースがこの年に本拠地を超投手有利のドジャースタジアムに移転させたことと、エクスパンションによりチーム数が2チーム増えリーグ全体のレベルが少し下がったこと、1963年に一気にリーグの投高打低が進んだことも理由として挙げられます。
 さらに、打撃成績が最低クラスだったこともマイナスポイント。
 

—–