81位~90位:歴代野球選手ランキングTop100


90位:キャップ・アンソン
 
1871年~1897年:ファースト:rWAR=94.1、fWAR=91.2:ナショナルリーグ
 
 19世紀で最も偉大な野手。まだ記録が不完全なものの、19世紀の多くの野手通算記録を保持しています。また、キャップのあだ名からも分かるようにリーダーシップも高く評価されていたようですが、まだ黒人奴隷制度が合法だった1853年生まれであり、本人も人種差別主義者。今では、野球殿堂から除名すべきとの声もあります。
 
 
 
89位:チャーリー・ゲリンジャー
 
1924年~1942年:セカンド:rWAR=80.7、fWAR=78.6
 
 エディ・コリンズ引退後のNo.1セカンドとして安定して高レベルな成績を残し、付いた愛称は「メカニカル・マン」。ハンク・グリーンバーグ、ミッキー・カクレーンらと共に1930年代のタイガース全盛期を支えました。その打撃力はサチェル・ペイジが「対戦した白人打者の中で最高の打者」と語ったほど。また、打撃だけでなく守備も優れた選手だったと語り継がれています。
 
 
 

88位:バレット・ローガン
 
1920年~1938年:先発&外野:ニグロリーグ
 
 ニグロリーグ最高の二刀流選手。プロリーグに本格的に参戦したのが27歳時と遅かったものの、通算勝利数がニグロリーグ歴代1位、通算打率がニグロリーグ歴代4位という統計もあります。ただ、どちらかといえば投手としての方が優れていたようです。
 
 
 
87位:オジー・スミス
 
1978年~1996年:ショート:rWAR=76.9、fWAR=67.6
 
 言わずと知れたショート守備の象徴。その歴代最高クラスのショート守備だけでなく通算580盗塁を記録した走塁も優秀で、高い四球率を誇った打撃もそれほど悪くはありませんでした。また、派手なプレーにもかかわらず15年以上にわたって活躍し続けた耐久力も評価されるべき。
 
 

86位:マイク・ムッシーナ 
 
1991年~2008年:先発:rWAR=83.0、fWAR=82.2
 
 サイ・ヤング未受賞であり飛び抜けた成績を残したことがないために過小評価されがちですが、16シーズンで規定投球回に到達しERA+でリーグ7位以内に入ること10回、最後は39歳ながら余力を残したまま引退し
ました。
 完成されたフォームから抜群の制球力で投げ込み、柔軟にピッチングスタイルを調整する投球術・野球IQも大きな魅力。ヤンキースでWS優勝を経験できなかったために話題になりませんが、PSでの成績もそこそこ優秀でした。殿堂入りも時間の問題でしょう。
 
 

 
 
85位:カート・シリング
 
1988年~2007年:先発:rWAR=79.6、fWAR=79.9
 
 実績はマイク・ムッシーナとほぼ互角で、ムッシーナと同じように余力を残したまま引退しました。本拠地が投手不利の球場であったことが多く防御率では飛び抜けた成績を残していませんが、FIPなどは非常に優秀な成績を残しており、現代ならより評価されていたはず。また、PSでの成績も先発としては歴代トップクラスの成績で、ARIとBOSで計3回WS優勝を経験しました。特に2004年の「血染めの靴下」は伝説。
 
 

 
 
84位:アーキー・ヴォーン
 
1932年~1948年:ショート:rWAR=72.9、fWAR=72.6
 
 知名度は低いですが1920年代~1940年代の約30年でのMLB・No.1ショート。当時のショートの中で頭一つ飛び抜けた打撃成績を残し、1935年にはリーグで断トツのOPS+190を記録(2位の選手でも157)。ただ、守備ではエラーが多くRFもイマイチの数字で、好守といえる選手ではなかったようです。
 安打数など通算成績はそれほどではありませんが、これは1944年~1946年(32歳~34歳)の3年間にドジャース監督のレオ・ドローチャーと喧嘩してプレーしなかったためです。
 
 
 
83位:カールトン・フィスク 
 
1969年~1993年:キャッチャー:rWAR=68.5、fWAR=68.3
 
 45歳まで捕手としてプレーし、捕手をメインとして守った選手の中で通算試合数は歴代2位、通算安打と本塁打は歴代3位。捕手としては珍しく長期間にわたって活躍し続けた選手です。ただ、守備の評価はイマイチでした。また、タイトルにも恵まれず、新人王・GG賞1回・SS賞3回ぐらいしかこれといったタイトルは獲れていません。
 
 

 
 
82位:ゲーリー・カーター
 
1974年~1992年:キャッチャー:rWAR=70.1、fWAR=69.4
 
 ドラフト時は内野手でしたがマイナー時代にキャッチャーにコンバート。殿堂入りに6年を要するなど過小評価されていますが、全体的な実績・成績などは同時代にプレーしたカールトン・フィスクとほぼ互角でした。また、フィスクほど活躍期間は長くありませんでしたが、怪我が少なくフィスクよりも守備力は上。
 
 

81位:ジョニー・マイズ
 
1936年~1953年:ファースト:rWAR=70.9、fWAR=68.6
 
 1943年~1945年(30歳~32歳)の3年間に第2次世界大戦でプレーしなかったことにより通算成績は伸びませんでしたが、打撃の質は超一流。OPS+でリーグ3位内に9回入り、当時のNLではメル・オットに並ぶ打者でした。
 1949年に急激に衰えシーズン途中にヤンキースに放出されましたが、その後5年連続でWS優勝を経験しています。