80位:フィル・ニークロ
1964年~1987年:先発:rWAR=96.2、fWAR=78.1
史上最高のナックルボーラー。初の規定投球回到達は28歳と遅咲きの選手でしたが、40歳以降に2000イニング近く投げるなど息の長さは流石。負担の少ないナックルボーラーとうこともあり投球内容などの質よりも投球回数・先発数などの量が魅力の選手で通算5404イニングはこの100年間での最多記録。防御率はそれほどの数字ではありませんが、当時のブレーブス(20年間プレー)の本拠地が非常に投手有利だったことが影響しており、通算ホーム防御率は3.51、アウェイ防御率は3.20。また、ブレーブスのチーム守備力も最低クラスでした。
79位:ジョー・ジャクソン
1908年~1920年:ライト:rWAR=62.2、fWAR=60.5
MLB最大の八百長事件「ブラックソックススキャンダル」で永久追放された8人のうちの1人(実際に彼が八百長行為をしたのかは分かりませんが)。映画「フィールド・オブ・ドリームス」でも取り上げられ実績のわりに知名度の高い選手です。
タイ・カッブとトリス・スピーカーの二人と同時期にプレーしたため大体シーズン成績はリーグ2位とか3位でしたが、通算打率はトリス・スピーカやホーナス・ワグナー、ジョージ・シスラーよりも上の数字でOPS+やwRC+は歴代9位となっています。
78位:ロイ・キャンパネラ
1948年~1957年:キャッチャー:rWAR=34.1、fWAR=38.2
15歳からニグロリーグでプレーし、20歳前半の頃には10歳年上のジョシュ・ギブソンと並ぶ好成績を残していました。1948年(26歳)には初の黒人キャッチャーとしてMLBデビュー。1957年(35歳)に交通事故により引退するまでにMVPを3回受賞、通算盗塁阻止率57.4%はMLB歴代No.1の数字です。
77位:ゲイロード・ペリー
1962年~1983年:先発:rWAR=90.4、fWAR=100.1
スピットボールの代名詞的な選手。15年に渡って安定した成績残しており、この人もニークロと同じように質より量の投手ですが、ピーク時の成績がニークロよりも上なのでこの順位に。
76位:ミゲル・カブレラ
2003年~:ファースト:rWAR=69.5、fWAR=70.5
バッティングはもちろん超一流ですが、守備・走塁が悪いためにこの順位に落ち着きました。去年は絶不調だったことやこの数年怪我がちであることは心配ですが、40歳まで超大型契約が残っていますしこのペースなら引退するころには60位~70位ぐらいまでには上がれるんじゃないでしょうか。
75位:フランク・トーマス
1990年~2008年:ファースト:rWAR=73.9、fWAR=72.0
この人も守備・走塁が悪いためにこの順位に。20代のころは1990年代最強強打者として君臨し7年連続でPS+170以上を記録しましたが、これはルー・ゲーリッグ以降ではバリー・ボンズとトーマスしか達成していない大記録。
1995年に率先して薬物検査の実施を訴えるなどクリーンかつ人格の優れた人物で、薬物が蔓延し多くの選手の打撃力が過剰向上していた時代にこれほどの打撃成績を残したことを忘れてはいけません。ただ、30歳になると怪我により思うような成績を残せませんでした。また、「リアル野球盤」でダメダメだったのも・・・
74位:ジェフ・バグウェル
1991年~2005年:ファースト:rWAR=79.9、fWAR=80.2
アストロズ一筋15年、フランチャイズ史上最高のプレーヤー。象徴的なガニ股打法から毎年のようにwRC150以上を記録。打撃力だけでなく守備・走塁も優れており、通算盗塁数202は第2次世界大戦後のMLBでファーストNo.1の数字でした。
ただ、ドーピング検査で引っかかったことなどは全くありませんでしたが、筋肉隆々な体格によりドーピング疑惑がかけられ、殿堂入りに時間を要しました。
73位:アーニー・バンクス
1953年~1971年:ショート/ファースト:rWAR=68.5、fWAR=68.3
カブス初の黒人プレーヤーであり、フランチャイズ最大のスーパースター。朝鮮戦争によりMLBデビューが遅れたものの、ショートを守り本塁打王を2回獲得、40本塁打以上を5シーズン記録しました。
このような多くの選手ランキングで歴代50位前後にランクインしている選手ですが、トップクラスの成績を残したのは20台の時の約6年間だけで、1961年(30歳)に膝の怪我(戦争での古傷)が悪化し急激に衰えが進行。翌年にはファーストにコンバートされると、残りのキャリアではいたって平均レベルの成績でした。また、走塁成績も悪く出塁率もイマイチ(キャリアハイで.374)といこともあり過大評価感は否めません。この成績・実績だけでなく、膝の怪我が戦争の古傷であったこと、その戦争によりMLBデビューが遅れたことも考慮して、この順位としました。
72位:トニー・グウィン
1982年~2001年:ライト:rWAR=69.2、fWAR=65.0
タイ・カッブやイチローと並ぶバットコントロールの代名詞的な存在。完成された打撃理論と徹底されたビデオ研究を武器に、首位打者に輝くこと8回。通算打率.338は1950年以降でMLBNo.1の数字となっています。
また、20代の頃は打撃力だけでなく守備・走塁もトップクラスの選手でしたが、1989年頃(29歳)から足の故障に悩まされ続け、30歳台になると走塁が一気に衰え体重も増加。結果として外野守備は最低クラスまで落ち込みました。
ただ、1992年にテッド・ウィリアムズと出会い、彼の弟子的な存在になって指導を受けたことにより、30歳代の方が20歳代の時より打成績は上。もし、もっと早い段階でテッド・ウィリアムズに出会い、ひざの故障がなくスピードも落ちることがなければ、シーズン打率4割を記録していたでしょう。
71位:ターキー・スターンズ
1923年~1940年:センター:ニグロリーグ
ニグロリーグ後期のNo.1外野手。日本では知名度が低いものの、ニグロリーグで残した打撃成績はトップクラスで、2003年にビル・ジェームズが発表した同様のランキングでは歴代25位、2014年のジョー・ポスナンスキーのランキングでは歴代58位にランクインしています。