70位:イバン・ロドリゲス
1991年~2011年:キャッチャー:rWAR=68.7、fWAR=68.9
捕手最多のゴールドグラブ賞13回、盗塁阻止率リーグトップ9回、2427試合出場を記録した野球史に残る守備型捕手。19歳でデビューして39歳で引退するまで長期にわたって好守を披露した稀有な選手です。また、バッティングも捕手としては優秀で、打撃成績でも様々な捕手記録を保持しています。
ただ、最近の研究では案外フレーミングが平均レベルだったり捕手防御率やその他守備指標も飛び抜けたものでなかったたりと本当にゴールドグラブ賞を13回も受賞するべきような選手だったかは微妙で過大評価気味との意見も。
さらに、ドーピング検査で陽性になったことはありませんが、ホセ・カンセコの暴露本ではドーピング利用者として名前が挙げられています。
69位:レジー・ジャクソン
1967年~1987年:ライト:rWAR=74.0、fWAR=72.7
「ミスター・オクトーバー」こと野球史上もっとも有名なクラッチプレーヤー。WSに出場すること5回、優勝が4回。WS合計27試合で10本塁打、OPS1.212を記録し、WSMVPは2度受賞しています。
また、レギュラーシーズンの成績も優秀で、本塁打王4回、本塁打数リーグ5位以内が11回、wRC+トップが4回を記録しただけでなく、若い頃は守備成績、盗塁数でも意外と優秀な成績を残しており走攻守に優れた選手だったようです。
しかし、チームメイトとの様々な喧嘩エピソードはマイナスポイント。
68位:ナップ・ラジョイ
1896年~1916年:セカンド:rWAR=107.4、fWAR=102.2
1900年代、NLのNo.1プレーヤーがホーナス・ワグナーならALのNo.1プレーヤーはこの選手。5度の首位打者に輝き1901年の打率.426はMLB記録、この年にはMLB初の三冠王に輝きました。また、守備も優秀。
1902年シーズン途中にインディアンズに移籍。1903年のシーズン前には、ファン投票によりチーム名が彼の愛称から「クリーブランド・ナップス」に変更されるほどのスター選手でした。
67位:スモーキー・ジョー・ウィリアムズ
1907年~1932年:先発:ニグロリーグ
サチェル・ペイジの前の黒人最高のピッチャー。ペイジと同じように剛速球&制球力&野球IQを兼ね備えた投手で46歳まで現役を続け、1952年のピッツバーグ・クーリエ(黒人専用新聞)の投票(黒人スポーツ記者と黒人選手による投票)でペイジを抑えニグロリーグ史上最高の投手に選ばれています(ウィリアムズが20票、ペイジが19票)。
MLBチームとの通算対戦成績は20勝7敗と大きく勝ち越し。1917年にはNLリーグ優勝を果たしていたニューヨーク・ジャイアンツ相手に9回20奪三振無安打という伝説的なピッチングを披露しました。(試合自体はエラーによる1失点で敗退)
66位:ハンク・グリーンバーグ
1930年~1947年:ファースト:rWAR=57.6、fWAR=61.1
1930年~1940年代を代表する強打者の一人。通算1628安打、331本塁打と通算成績がイマイチなのは第2次世界大戦に従軍し約4シーズン半プレーしなかったこと余力を残して引退したことのため。
また、彼を語るうえで欠かせないことは、彼がMLB初のユダヤ人スター選手であるということ。アメリカにおいてユダヤ人差別が酷い時代にプレーし、本人も差別に苦しめられました。
65位:デレク・ジーター
1995年~2014年:ショート:rWAR=72.4、fWAR=72.7
MLBの歴代ショートの中で、Offensive WAR(Baseball-Reference)は歴代2位の96.3、Off(Fangraphs)は歴代3位の332.7と史上屈指の攻撃力を持った選手ですが、守備力は最低レベル。正直なところ、ショートを守らせるべき選手ではなかったでしょう。
それでもMLBタイ記録の17連続150安打以上や14年連続rWAR+3.0以上など安定感抜群の成績を残し、ポストシーズン通算158試合で200安打、OPS.838という勝負強さを見せたこと。加えて、「ザ・ダイブ」や「ザ・フリップ」、「ミスター・ノーベンバー」など歴史に残る名シーンを演出したこと。さらに、リーダーシップや人気も考慮してこの順位としました。
64位:ボブ・フェラー
1936年~1956年:先発:rWAR=63.9、fWAR=62.6
1940年代MLB最速のピッチャーと呼ばれる「火の玉投手」。ノーラン・ライアンが活躍するまではMLBの剛速球投手の象徴でした
若干17歳でデビューすると、20歳でMLBトップクラスの成績を記録。全盛期の真っ盛りに3シーズン半を第2次世界大戦従軍により欠場することがなければ、ウォルター・ジョンソンの当時の通算奪三振記録も更新していたかもしれません。
ただ、投手有利の本拠地に助けられていた感も・・・。
63位:バック・レナード
1933年~1946年:ファースト:ニグロリーグ
当時のニグロリーグで「黒いルー・ゲーリッグ」としてチームメイトのジョシュ・ギブソンに次ぐ打撃成績を残したニグロリーグ史上最高のファースト。打撃力だけでなく守備も優れていたと言われています。
62位:ロッド・カルー
1967年~1985年:セカンド/ファースト:rWAR=81.3、fWAR=72.3
独特なバッティングフォームが印象的な、20世紀のヒスパニックNo.1内野手。キャリア前半はセカンド、後半はファーストとしてプレーしオールスターに選出されること18回、1969年~1978年の10年間で7度の首位打者に輝きました。
また、あまりセカンド守備は良くなかったようですが、なぜファーストにコンバートされたかは調べてもよく分かりませんでした。
61位:ブルックス・ロビンソン
1955年~1977年:サード:rWAR=78.4、fWAR=80.2
内野手史上最多ゴールドグラブ賞16回受賞の守備型サード。捕殺、刺殺、併殺の通算成績は断トツで歴代No.1、守備率は歴代3位となっています。また、TZR(過去の試合データと守備成績から算出されるDRSやUZRと同様の守備指標)では、全ポジション歴代No.1の+293の数字を残しており、サードのTZRでリーグ1位になること8シーズン、2位が7シーズン。ゴールドグラブ賞16回は至極まっとうな評価。これほど長期間にわたってトップクラスの守備成績を残し続けたのは選手は他にオジー・スミスとウィリー・メイズしかいません。
87位のオジー・スミスと差がついた理由は打撃力の差で、wRC+120以上を5シーズン、100位を10シーズン記録しており、通算安打2848安打は1950年~1990年では内野手のMLB最多記録となっています。