皆さんには大して興味のない記事でしょうけど、ネタが揃っているので少なくともPart 3までやります。
Greg Maddux(1992年オフ)
Year | Age | Tm | ERA | G | IP | H | HR | BB | SO | ERA+ | FIP | WHIP | BB9 | SO9 | SO/W |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 24 | CHC | 3.46 | 35 | 237.0 | 242 | 11 | 71 | 144 | 119 | 3.15 | 1.321 | 2.7 | 5.5 | 2.03 |
1991 | 25 | CHC | 3.35 | 37 | 263.0 | 232 | 18 | 66 | 198 | 116 | 3.06 | 1.133 | 2.3 | 6.8 | 3.00 |
1992 | 26 | CHC | 2.18 | 35 | 268.0 | 201 | 7 | 70 | 199 | 166 | 2.58 | 1.011 | 2.4 | 6.7 | 2.84 |
1993 | 27 | ATL | 2.36 | 36 | 267.0 | 228 | 14 | 52 | 197 | 170 | 2.85 | 1.049 | 1.8 | 6.6 | 3.79 |
前回のPart 1で紹介したようにNYYがBarry Bondsを逃した1992年オフ、史上最高のポジションプレーヤーの1人と時を同じくして、史上最高のピッチャーの1人もFA市場に繰り出していました。
それがGreg Madduxです。
FA前最終年となる1992年シーズンは開幕からキャリアハイのパフォーマンスを見せ、7月にCHCから5年$27.5Mのエクステンションを提示されるもリジェクト(Maddux側は$32Mを希望)
そのまま勢いは衰えることなく、初のCYAに輝くなど理想的なタイミングでFAとなり、投手成績がリーグ下位に終わったNYYにとっては再建の軸としてプライオリティな存在に。
ただ、割かしあっさりとSFG入りが決まったBondsと比べ、若き日のScott Borasが代理人を務めるMadduxの争奪戦は捻りある展開に。
ます、シーズン途中に大型契約をオファーしたことから最有力と見做されていたCHGは、他の先発投手(Jose Guzman)と大型FA契約を結び、Maddux争奪戦から早々に撤退。
次にNYYがBondsへの提示内容に近い5年$34Mをオファーするも、Maddux本人が5年$37Mをカウンターとして要求。
Boras曰く、MadduxもBorasもNYYがカウンターを受け入れるだろうと確信しており、素直に受け入れれば入団を即決するつもりだったようですが、NYYのGene Michael GMは増額オファーを保留。
その間にMadduxの気持ちはATLに傾き、NYYの提示条件を下回る5年$28Mで契約合意に達しました。
契約合意の前にBorasから連絡を受けたNYYは5年$34Mのうち$9Mを契約金として支払う新条件(当時もアメリカは高金利・インフレ社会)を大急ぎでオファーするも時すでに遅し。(他の報道ではMadduxの希望通り5年$37Mを受け入れたとの話も。)
Madduxは1995年シーズンまで4年連続でCYAウィナーとなるわけですから、$3Mをケチった代償はあまりにも甚大でした。
ただ、MadduxがATL相手にディスカウント受け入れた最大の理由は「家族にとってアトランタよりニューヨークの方が生活・教育環境に優れているから」と報じられていますが、単に他球団からのオファーを引き上げるためにNYYを利用したのか、それとも本当に環境面を優先したのかは不明。
George Brett(1982年オフ)
Year | Age | Tm | G | PA | H | HR | SB | BB | SO | BA | OBP | SLG | OPS | OPS+ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1980 | 27 | KCR | 117 | 515 | 175 | 24 | 15 | 58 | 22 | .390 | .454 | .664 | 1.118 | 203 |
1981 | 28 | KCR | 89 | 379 | 109 | 6 | 14 | 27 | 23 | .314 | .361 | .484 | .846 | 145 |
1982 | 29 | KCR | 144 | 629 | 166 | 21 | 6 | 71 | 51 | .301 | .378 | .505 | .884 | 141 |
1983 | 30 | KCR | 123 | 525 | 144 | 25 | 0 | 57 | 39 | .310 | .385 | .563 | .947 | 158 |
地元上院議員からの脅迫を受け、MLBが嫌々設立を許したKCR。
本来なら弱小貧乏球団への道が約束されていたリーグの邪魔者を球界屈指の強豪チームへ引き上げた存在がGeorge Brettですが、このKCR最大のフランチャイズプレーヤーにもNYY移籍の可能性が芽生えた瞬間がありました。
Brettの活躍により好調だったKCRですが、1970年代の度重なる労使紛争と1981年のストライキを経て、1982年オフに入ると初代オーナーが身売りを念頭に置いたチーム所有権の一部売却に動き、フロントが不安定な状況に。
さらに、1980年のモンスターシーズン途中に5年$5Mの大型エクステンション契約を結んでいたBrettは、1982年シーズン開幕直前に契約期間10年の生涯契約を要求。
ただ、流石にKCRもその要求を受け入れず、反対にトレードの噂が流れる不穏な状況に。
そういった状況の中で、スキを狙うかのように1992年オフのウインターミーティングにてBrett獲得へ動いたのが、Steinbrenner率いるNYYでした。
当時の報道によると、Brettの対価としてNYYはレギュラーOFを1人(Ken Griffey Sr.かDave Collins)、38歳のGraig Nettles、プロスペクト数名を提示したようですが、当然ながらKCRの要求は高く、特にエースのRon Guidryを欲していた模様。
そのままトレード交渉は流れ、NYY入団ないし他球団移籍が実現することはなく、1984年シーズン開幕直後には本当に生涯契約を締結し、1985年のWS制覇を経てKCRで現役を終えました。
(よくよく考えれば別に”惜しく”はないよな。)
ちなみに、かの有名なパインタール事件はこの7ヵ月後に発生。
Satchel Paige(1946年)
Year | Age | Tm | Lg | ERA | G | IP | BB | SO | ERA+ | FIP | WHIP | BB9 | SO9 | SO/W |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1944 | 37 | KCM | NAL | 1.10 | 16 | 98.1 | 27 | 105 | 313 | 1.40 | 0.905 | 2.5 | 9.6 | 3.89 |
1945 | 38 | KCM | NAL | 4.67 | 9 | 44.1 | 15 | 43 | 88 | 1.78 | 1.286 | 3.0 | 8.7 | 2.87 |
1946 | 39 | KCM | NAL | 1.29 | 8 | 35.0 | 5 | 32 | 323 | 1.18 | 0.829 | 1.3 | 8.2 | 6.40 |
1947 | 40 | KCM | NAL | 2.37 | 5 | 19.0 | 2 | 18 | 206 | 1.10 | 1.105 | 0.9 | 8.5 | 9.00 |
1948 | 41 | CLE | AL | 2.48 | 21 | 72.2 | 22 | 43 | 165 | 2.88 | 1.142 | 2.7 | 5.3 | 1.95 |
Jackie Robinsonと共にアメリカの歴史を塗り替えたBRO(ブルックリン・ドジャース)、Willie Maysの活躍により復活を遂げたNYG(ニューヨーク・ジャイアンツ)を尻目に、1955年のElston Howardまで黒人プレーヤーを許容せず、アメリカ社会における黒人の地位向上を妨害したレイシスト球団NYY。
その結果として1960年代に暗黒期を突入し、人種差別のツケを払わされることになるわけですが、Jackie Robinsonのカラーバリア破壊に先駆け、1946年にNYYが獲得に動いたとされる黒人プレーヤーがSatchel Paigeです。
当時のSatchel Paigeと言えば、ニグロリーグ最大のスーパースターとして黒人社会だけでなく全国的に有名な存在で、ニグロリーグのみならずDizzy DeanやBob Fellerとのバーンストーミングにより大金を稼ぎ出していた高給取り。
1947年9月のSporting Newsに掲載されたPaigeへのインタビュー記事によると、前年1946年にNYYからMLB契約オファーを受けたとのこと。ただ、当時のPaigeの年俸($25~30K)に匹敵する額ではなかったため、オファーを退けたと語っています。
もし、Joe DiMaggioの年俸が$50K未満だった時代に、40歳の先発投手へ数万ドルは割高な印象ですが、NYYのオファーを受けていればカラーバリアを破るのはPaigeだったはずで、WWⅡ以降の野球史が根底から覆っていたはず。
これまで取り上げてきたレジェンド選手の中で、個人的には最も悔やまれる案件です。
ただ、Paigeに妄想癖があったことは有名な話で、これだけのビッグニュースにもかかわらず、私が知る限り本案件を取り上げたメディアは先述のSporting Newsのみ。
正直なところ、Paigeの口から出たホラ話だった可能性が限りなく高いでしょう。
(これも別に”惜しく”ねぇな。)