ショート編:MLB歴代の守備の名手たち


メジャーリーグ史上のサード守備の名手たちを各年代ごとに取り上げました。

昨年、各年代を代表する守備の名手を取り上げていく企画の第1弾として「サード編:MLB歴代の守備の名手たち」を投稿したのですが、今回は続編としてショート編を作成しました。

明確な基準はありませんが、各プレーヤーの現役当時の評価と守備成績の両方を鑑みて選び抜いたつもりです。


ページ 1 1850年代~1890年代
ページ 2 1900年代~1950年代
ページ 3 1960年代~2010年代


1850年代以前

Doc Adams

ドック・アダムス: 1845年~1862年

かの有名なKnickerbocker Base Ball Clubの中心メンバーとして野球史を根底から塗り替え、「The Father of Baseball」とも呼ばれるPioneer Eraの最重要人物の1人。

そして、内野と外野の間にポジションを取り、内外野の中継役として初めて”Short Stop”を守ったプレーヤーでもありました。

まあ、当時の球界は9人制に加え7~8人制や10~11人制などが乱立しており、ポジションに対する固定観念は存在しなかったのですが…。

1860年代

Dickey Pearce

ディッキー・ピアース: 1871年~1882年
通算 TZR 47 : TZRリーグ1位 1回
ReferenceFanGraphs

初のプロ野球リーグであるNational Association設立時点で既に35歳だったため、プロ球界で目を見張るような成績を残すことはありませんでしたが、1860年代には球界を代表するショートストップとして活躍。

Doc Adamsと同様に非常に野球IQが高く、バントの考案者と広く認められているだけでなく、他にもシチュエーション・ヒッティングやフェイクプレー、ポジショニング等において時代を先取りしていたようです。

ちなみに、現代野球における”Short Stop”というポジションの生みの親について、先述のDoc AdamsDickey Pearceの間で議論が分かれていますが、Doc Adamsのポジショニングは内野と外野の間に位置するハーフポジションであり、Dickey PearceのポジショニングはAdamsのポジションを現代のようにインフィールドまで前進させたもの。

そのため、「Dickey Pearce=”Short Stopの生みの親”」との見解が優勢となっています。

1870年代

George Wright

ジョージ・ライト: 1871年~1882年
通算 TZR 70 : TZRリーグ1位 4回
ReferenceFanGraphs

プロ野球初のスター選手であり、当代イチの名手と幅広く認められていた時代の寵児。

クリケットで鍛え上げたベアハンド・フィールディングは他の追随を許さなかっただけでなく、捕球体制やポジショニングにおいてショート守備に革新をもたらした存在でもありました。

また、当然ながら右利きだったものの、場合によっては左からの送球も行っていたとのこと。

1880年代

Jack Glasscock

ジャック・グラスコック: 1879年~1895年
通算 TZR 153 : TZRリーグ1位 6回
ReferenceFanGraphs

首位打者を獲得するなど決して守備力オンリーの選手だったわけではありませんが、華麗なショート守備を武器に球界最高、また時には19世紀最高のショートと称されたスタープレーヤー。

特に全盛期は球界最高年俸を稼ぎ出すほどの人気と実力を兼ね備え、守備成績も文句無し・超一流の数字。

1890年代に入ると、手の故障と肩の衰えが重なったことで守備力は急激に衰えてしまったものの、NL引退後もMiLBにてファーストを守り、20世紀まで現役を続けています。

ちなみに、非常にルーティーンを重要視するタイプだったようで、キャリア晩年までグローブを使用せず素手にこだわっていたのこと。

他の候補選手

Germany Smith

ジャーマニー・スミス: 1884年~1898年
通算 TZR 164 : TZRリーグ1位 5回
ReferenceFanGraphs

現代では無名に近い存在となっているものの、当時AA(アメリカン・アソシエーション)最強のブルックリン・ブライドグルームス(現LAD)にて圧倒的な貧打ながらもチーム1の人気を誇り、リーグ最高のショートとして”AAのJack Glasscock”と称されたプレーヤー。

キャリア後半(1890年代)にはNLのCINへ移籍すると、移籍1年目から4年連続で補殺にてリーグトップに輝くなど息の長い活躍を見せています。

1890年代

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Hughie Jennings

ヒューイー・ジェニングス:1891年~1903年
通算 TZR 56 : TZRリーグ1位 4回
ReferenceFanGraphs

今ではDET球団史に残る名将、そして当代最高のエンターテイナーとして歴史に名を残すHOFerであり、現役時代はショートの名手として活躍。史上唯一通算RFが6を超えるプレーヤーです。

また、4年連続で守備率にてリーグトップに立つなどミスも少なく、正しくオールラウンド・フィールダーといった印象。

1897年シーズンに球界一の剛腕Amos Rusieから頭部死球を受け4日間昏倒したエピソードはあまりにも有名ですが、その直後から急激に守備力は衰え、1899年にはファーストへコンバート。

他の候補選手

Bill Dahlen

ビル・ダーレン:1891年~1911年
通算 TZR 120 : TZRリーグ1位 2回
ReferenceFanGraphs

現役当時はさほど評価が高くなく、未だにHOFから漏れていますが、Defensive Win SharesにてOzzie SmithHonus Wagnerに次ぐ歴代3位にランクインするなど守備成績に優れ、現代の評価基準で見れば最高級のショートストップ。

1897年の6.75 RFはシーズン最高記録であり、1908年には38歳にして同指標リーグトップに返り咲いています。

Tommy Corcoran

トミー・コーコラン:1890年~1907年
通算 TZR 80 : TZRリーグ1位 0回
ReferenceFanGraphs

デビュー2年間は素手でプレーするも、素直にグローブの着用を始めパフォーマンス向上。

1890年代初頭から1900年代中盤まで約15年間に渡って守備率のタイトルを争いました。

細く長い野球人生を送ったため、メインストリームで語られることはありませんが、数多くの積上系指標にて歴代上位にランクインしています。