ショート編:MLB歴代の守備の名手たち


ページ 1 1850年代~1890年代
ページ 2 1900年代~1950年代
ページ 3 1960年代~2010年代


1900年代

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Joe Tinker

ジョー・ティンカー:1902年~1916年
通算 TZR 180 : TZRリーグ1位 7回
ReferenceFanGraphs

(現代に伝えられているほど)現役当時に守備力を高く評価されていたわけではありませんが、Dead Ball Eraにおいて最も優れた守備成績を残したショートストップ。

CHCにて同じくHOFerのJohnny EversFrank Chanceと形成した6-4-3トリオは史上屈指の鉄壁ラインであり、歴代シーズン最高記録となる1906年のチーム防御率1.75もTinkerの存在があってこそ。

他の候補選手

Bobby Wallace

ボビー・ウォレス:1894年~1918年
通算 TZR 105 : TZRリーグ1位 5回
ReferenceFanGraphs

MLB歴代最年長選手記録」でも取り上げたように非常に選手寿命が長く、ショートだけでなくサードでも好守を発揮した”Dead Ball Eraの宮本 慎也Omar Vizquel“。

(守備成績とは相異なり)現役当時の評価はJoe Tinkerより高く、AL移籍後は球界屈指の高給取りに。

特にディフェンシブなプレーヤーの中では断トツの高年俸でした。

また、デビューから3年間は野手ではなく投手を務めており、強肩であったことは言うまでもありません。

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Honus Wagner

ホーナス・ワグナー:1897年~1917年
通算 TZR 67 : TZRリーグ1位 1回
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Hit・Power・Run・Arm・Fieldingなどショートストップの全てのツールにおいて、Honus Wagner抜きにベストを語ることはできません。

あれ程の筋肉質かつガッチリとした体型で、俊敏なフィールディングを見せていたとは俄かに信じられませんが、守備率のようなオールドスタッツだけでなくTZRやRFなど近代指標においても優れた数字を残しており、特にDefensive Win SharesではOzzie Smithに次ぐ歴代2位。

ちなみに、プロ入り後初めてショートを守ったのは5年目(27歳)と遅く、Wagnerがショートを務められる機敏なプレーヤーとは当時の所属チームも考えていなかったようです。

George Davis

ジョージ・デイビス:1890年~1909年
通算 TZR 106 : TZRリーグ1位 2回
ReferenceFanGraphs

キャリアの1/3のセカンド・サード・センターなど他ポジションで過ごしたものの、ショート定着後13シーズンのうち7シーズンにおいて二桁TZRを記録。

幾度となく.350 Avgをクリアするなどバッティングも優れ、Honus Wagnerがショートへコンバートされるまで一部では同ポジション最高のプレーヤーと見做されており、通算84.9 rWARはショート歴代4位。

1910年代

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Rabbit Maranville

ラビット・マランヴィル:1912年~1935年
通算 TZR 115: TZRリーグ1位 2回
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身長5’5”は殿堂入りプレーヤーの中で最も低く、正しく”Rabbit”のようなショートストップでしたが、25年近いキャリアを通して数多くのポジション記録を樹立。

特にMLB歴代最多通算8967補殺はアンタッチャブルレコードであり、刺殺数においてもショート歴代最多。

TZRやDefensive Win Sharesなど近代指標もそれに劣らず優秀です。

また、キャリアの1/5をセカンドとして過ごしており、ショート一筋であれば更に数字を伸ばしていたことでしょう。

他の候補選手

Roger Peckinpaugh

ロジャー・ペキンポー:1910年~1927年
通算 TZR 100 : TZRリーグ1位 5回
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MLB4年目の1914年に若干23歳で選手兼任監督を務め、MLB史上最年少監督として歴史に名を残していますが、プレーヤーとしては当時AL最高の名手と評された存在。

最後のフルシーズンプレーとなった1925年シーズンには、守備における多大な貢献を評価され、34歳にしてMVPを受賞しています。

ただ、NYYファンの間では、1921年WS第8戦・NYG相手に決勝点を許した痛恨のエラーが有名かもしれません。

Art Fletcher

アート・フレッチャー:1909年~1922年
通算 TZR 145 : TZRリーグ1位 6回
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現役時代、守備力を高く評価される存在ではなかったものの、守備成績はMaranvilleに勝るとも劣らない数字。

TZRでリーグトップに6回以上立ったショートストップは他にOzzie SmithMark BelangerJoe TinkerJack Glasscockの4人のみです。

引退後は20年以上に渡ってNYYのサードコーチを務め、Phil RizzutoFrankie Crosettiなど時代を彩る名手の育成に携わっています。

George McBride

ジョージ・マクブライド:1901年~1920年
通算 TZR 98 : TZRリーグ1位 5回
ReferenceFanGraphs

MLB定着まで時間を要したものの、Walter Johnsonを抱えるWSHの守備の要、そして当代屈指の名手として活躍。

当時は大半のショートストップが30歳の誕生日を迎える前に黄昏時を迎えていましたが、McBrideの全盛期は30代前半。

特に1912年~15年は4年連続でTZRリーグトップに立っています。

1920年代

Dick Lundy 

ディック・ランディ:1916年~1937年
通算 RSAA 86.0
ReferenceFanGraphsSeamheads

個人的な感覚では「ニグロリーグの名手」と言えばこの男。

守備力だけでなく打撃力も兼ね備え、John Henry LloydWillie Wellsとニグロリーグの二大巨頭に次ぐシュートストップだと考えられており、特に守備の評価は頭1つ抜けている印象。

実際に守備成績も非常に優れていますが、全盛期が短かった点はマイナス。

将来的には殿堂入りもあり得るかと思います。

他の候補選手

Everett Scott

エベレット・スコット:1914年~1926年
通算 TZR 95 : TZRリーグ1位 4回
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史上最も守備率の傑出度が高いショートストップであり、1916年から8シーズン連続で同指標リーグトップに。もちろん、当時は守備率が重要視(過大評価)されていたため、Scottの守備評価にも直結。

また、当時のプロ球界記録である1307試合連続出場を果たすほどの頑丈なプレーヤーで、TZRやDefensive Win Sharesなど積上系指標においても毎シーズンのように上位へランクイン。

さらに、強豪チームを渡り歩き、4度のWS優勝を経験しています。

Dave Bancroft

デイブ・バンクロフト:1915年~1930年
通算 TZR 94 : TZRリーグ1位 3回
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エラーこそ多かったものの抜群のレンジ武器に、RFにおいてリーグトップに立つこと8回。これは歴代最多の数字。

さらに、通算5.97 RFは歴代2位にランクインしており、同時代のショートと比べても頭1つ抜けています。

バッティングにおいても同時代の大半のショートを上回る水準を誇り、1971年に殿堂入りを果たしています。

ちなみに、有名な「Beauty」というニックネームは、華麗なプレーから付けられたものではなく、審判に好印象を与えるため味方のピッチャーが投げるたびに「Beauty」と叫んでいたため。

Travis Jackson

トラヴィス・ジャクソン:1922年~1936年
通算 TZR 134 : TZRリーグ1位 5回
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現役当時は守備力をあまり評価されていなかったものの、1920年代最多となる90 TZRを記録し、ディケイド中5シーズンで同指標リーグトップに。

打撃力も兼ね備えたハイバリューなプレーヤーであり、名門NYG所属ということで非常に人気も高く、若手選手(25歳以下)の中で最高年俸だった時期も。

膝の慢性的な故障と度重なる病気罹患により選手寿命は長くありませんでしたが、Dave Bancroftから10年遅れて殿堂入りを果たしています。

Dobie Moore

ドビー・ムーア:1920年~1926年
通算 RSAA 108.2
ReferenceFanGraphsSeamheads

体重230lb、ショートとしては規格外の体重を誇る20世紀の同ポジション最重量プレーヤー。

当時はその巨体を活かしたパワフルなバッティングを評価されており、実際に打撃成績はニグロリーグ上位の数字でしたが、何故かそれ以上に守備成績が優秀。

というか、優秀どころか天文学的水準に達していて、約4100イニングで108 RSAA、約3100イニングで52 TZRを記録。Major Laegue史上最も守備成績が優れているプレーヤーと言っても過言ではありません。

しかし、30歳で迎えた1926年シーズン序盤、愛人との喧嘩の末に足へ銃撃を受け、更に逃げようと部屋の窓(テスラやバルコニーとの話も)から飛び降りた際に追い打ちをかけるように足を複雑骨折。

この重傷によってニグロリーグでのキャリアは突如終わりを迎えました。

ニグロリーグからフェードアウトした後は、ファーストとしてキューバリーグやセミプロにてプレーを続けたようですが、事件がなければ殿堂入りを果たしていたことでしょう。

1930年代

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Dick Bartell

ディック・バーテル:1927年~1946年
通算 TZR 38 : TZRリーグ1位 2回
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コンセンサスピックに欠ける1930年代ですが、RFで7度もリーグトップに立ったDick Bartellを選びました。

同じくショートの名手であるGlenn Wrightの後釜としてPITのレギュラーポジションを獲得し、NYG移籍後はサードにコンバートされていたTravis Jacksonと強力な三遊間を形成。

ワールドシリーズでもNYY相手にセンセーショナルなプレーを披露。

ただ、性格に難があり、フィールド上では幾度と対戦相手と衝突。オールドファンの間では「名手」ではなく「クレイジー」な存在として記憶されています。

他の候補選手

Billy Jurges

ビリー・ジャージェス:1931年~1947年
通算 TZR 103 : TZRリーグ1位 2回
ReferenceFanGraphs

Dick Bartellと同じく性格面に問題があり、MLB2年目の1932年に愛人から銃弾を3発ぶち込まれ、うち1発が命中するも大事には至らず。

運良くパフォーマンスにも影響することなく、その後15年間に渡って名手として活躍。

1930年代通算90 TZRは断トツでディケイドNo.1の数字であり、1939年にはDick Bartellと入れ替わる形でNYGに加入し、1940年代も好成績を残しています。

Leo Durocher

レオ・デュローシャー:1925年~1945年
通算 TZR 21 : TZRリーグ1位 1回
ReferenceFanGraphs

殿堂入りも果たした「名将」として日本でも有名な存在ですが、現役時代は球界屈指の名手として鳴らしたショートストップ。

アグレッシブなスタイルが特徴的だった監督時代とは対照的に堅実なフィールディングが持ち味で、NYY所属時代には、1890年代にMiLBでHonus Wagnerを見出したEd Barrow GMが「全盛期のHonus Wagner以来最高のショート守備」と称賛。

1940年代

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Marty Marion

マーティー・マリオン:1940年~1953年
通算 TZR 130 : TZRリーグ1位 5回
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足の古傷のおかげで運良く徴兵を免れ、WWⅡ前後において活躍。

老朽化でフィールドがボロボロだったSTL本拠地Sportsman’s Parkを克服し、1941~1946年の6シーズンの内5シーズンでTZRリーグトップに輝き、Rabbit Maranville以来最大のフィールディングスターとなりました。

1944年にショートとして史上初めてMVPを受賞していますが、.686 OPSや87 Rbat+は歴代のMVPウィナーの中でも最低値。当時の球界でどれほど高く守備力を評価されていたかが分かるかと思います。

他の候補選手

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Pee Wee Reese

ピー・ウィー・リース:1940年~1958年
通算 TZR 107 : TZRリーグ1位 4回
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MiLB時代からトッププロスペクトとして賞賛を受け、スター揃いのBROにて守備の要に。

特に1940年代終盤~50年代序盤のC:Roy Campanella、1B:Gil Hodges、2B:Jackie Robinson、3B:Billy Cox、SS:Reeseの内野は正しく鉄壁。

TZR(or DRS)ではショート歴代20位、Defensive Win Sharesでは歴代5位にランクインしていますが、守備力全盛期に徴兵で3シーズン失うことがなければ…。

また、かつては過大評価の代名詞的存在だったものの、セイバーメトリクスの発展に伴い再評価が進んでいます。

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Phil Rizzuto

フィル・リズート:1941年~1956年
通算 TZR 107 : TZRリーグ1位 4回
ReferenceFanGraphs

NYYのショートと言えばDerek Jeterを真っ先に思い浮かべるファンが多く、今世紀中は他にもDidi GregoriusGleyber TorresEduardo Nunezなど数多くの文鎮が拙守を連発してきたのですが、対照的に20世紀はRoger PeckinpaughFrankie CrosettiTony KubekBucky Dentなど数多くの名手を抱え、その中でも一際目を引く存在が殿堂入りも果たしたPhil Rizzuto

MiLB時代に幽閉を受け、さらにWWⅡ徴兵によってシーズンを失うことがなければ、数多くのポジション記録を更新していたはず。

徴兵前にJoe Gordonと形成した二遊間コンビは歴代でも最高級。

Eddie Miller

エディ・ミラー:1936年~1950年
通算 TZR 83 : TZRリーグ1位 1回
ReferenceFanGraphs

現役当時にMarionReeseほどショート守備を称賛されるプレーヤーだったわけではないものの、守備成績は非常に優秀であり、特にRFは2人を凌ぐ高水準。

ただ、1945~46年の度重なる故障により劣化が早く、好守としての活躍期間もショート。

規定打席到達はたった6度のみですが、弱小チーム所属にかかわらず7度もASに選出されるなど、人気選手でもありました。

Pee Wee Butts

ピー・ウィー・バッツ:1938年~1955年
通算 RSAA 59.6
ReferenceFanGraphsSeamheads

1940年代のニグロリーグを代表するショートとして、ニックネームからも分かるようにPee Wee Reeseと比較されたスター選手。

バッティングも優れていたDick Lundyとは異なり、プレーヤーバリューは大きくフィールディングに偏っており、ショート守備においては1940年代ニグロリーグNo.1のコンセンサス。

カラーバリア撤廃後も黒人球界に残り、ビッグリーグでプレーすることはありませんでした。

1950年代

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Roy McMillan

ロイ・マクミラン:1951年~1966年:GG賞 3回
通算 TZR 90 : TZRリーグ1位 4回
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地味な見た目が裏目に出たのか、今ではあまり語られることがありませんが、1950年代当時はショート守備において頭1つ抜けた存在と考えられていた名手中の名手。

GG賞創設は全盛期を過ぎてからですが、初年度から3年連続で受賞しており、1956~57年には本塁打王を争っていたErnie Banksを抑えAS先発を勝ち取っています。

キャリア晩年にはチーム1の高年俸に。

他の候補選手

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Chico Carrasquel

チコ・カラスケル:1950年~1959年
通算 TZR 47 : TZRリーグ1位 2回
ReferenceFanGraphs

後に球界を席巻する中南米系名手の先駆け的プレーヤー。

ベネズエラ国内リーグで大活躍を披露した後に、MiLB時代ではリーグ屈指のプロスペクトと評される存在となり、MLB1年目から最上級の守備成績を記録。

守備率で毎年リーグトップを争うほどの堅実なハンドリングと難しい体勢からもブルズアイを打つ正確な送球がウリだったようです。

ただ、サボり癖があったためか選手寿命は短く、当時所属していたCWSの監督を務めるMarty Marionと折り合いが付かず追い出される形で退団。

そして、Carrasquelの代わりにレギュラーの座を獲得したのが偉大なるフィールダーLuis Aparicioでした。

Willy Miranda

ウィリー・ミランダ:1951年~1959年
通算 TZR 16 : TZRリーグ1位 0回
ReferenceFanGraphs

若い頃から傑出したショート守備を見せるも、極端な貧打のおかげで、キューバ国内リーグからMiLBを経てMLBにおける地位を確立するまで多大な時間を要し、29歳にして漸との事でレギュラーの座を獲得。

守備固めの時代から既に同僚プレーヤーやスカウトから”the best I have ever seen”と称されており、当時の評価は同じ中南米出身のChico Carrasquelを凌いでいた印象ですが、守備成績は△。

ちなみに、BALは1953年のBilly Hunterから始まりWilly MirandaRon HansenLuis AparicioMark BelangerCal Ripken Jr.を挟んで2002年のMike Bordickまで、約半世紀に渡りショートのレギュラーに名手のみが名を連ねており、後のJ.J. Hardyの出現は必然だったとも言えます。

Ziggy Jasinski*

ジギー・ジャシンスキ:(1947年~1954年):Reference

MiLB止まりでMLBに届かなかったプレーヤーのため、(「MLB歴代の守備の名手たち」と題していることから分かるように)MLBでプレーしたショートストップを対象としている本記事の基準から外れてしまいますが、折角なので取り上げておきます。

MiLB通算8シーズン・1000試合以上全てにおいてワンポジションでプレーした生粋のショートストップであり、貧打によって何時までもMLBへ届かないプレーヤーとして少しネタにされていた存在。もちろん、守備の評価は◎。

NYG傘下に所属していたのですが、50年代NLを代表する名ショートAl Dark、そして日本でもお馴染みのDaryl Spencerを抱える同チームがJasinskiを必要とせず。

CIN傘下に移籍するも、同チームはRoy McMillanを抱えていたため状況は変わらず。

そのまま膝の故障により20代でで現役を退きました。