これまでにMLBの最速記録や剛速球投手について取り上げてきましたが、今回の記事ではMLB(MLB以前も含むアメリカ野球)における各年代の最速投手を私の独断と偏見で決めてみました。
アメリカではじめてプロ野球リーグ(ナショナル・アソシエーション)が創立された1870年代からディケイド(10年)ごとに最速投手を一人と他候補選手を何人か、リリーフ投手起用が確立された1970年代からは先発とリリーフそれぞれで別に選出しています。
また、複数のディケイドにまたがって活躍した選手(ノーラン・ライアンやレフティー・グローブなど)もいますが、ややこしくなるので各選手1ディケイドまでとしました。
1ページ目:1870~1920年代 2ページ目:1930~1960年代 3ページ目:1970~2010年代(先発) 4ページ目:1970~2010年代(リリーフ) 5ページ目:2020年代の予想
目次
1870年代
ホームプレートから45フィート(13.7m)離れた6フィート(1.8m)四方のボックスの中から投球するというルールだった時代。また、腰から上の投球は禁止されていました。つまり下手投げ限定。
トミー・ボンド
Tommy Bond:右投:1874年~1884年
腰の高さからルールギリギリのサイドスローで剛速球を投げ込んだ1870年代の大投手。剛速球だけではなくカーブも優秀だったと言われ、1870年代後半の球界No.1ピッチャーでした。
ただ、1880年代に入ると衰えに加えてイニング間の距離変更や上手投げ解禁などのルール変更にも振り回され成績は下落。今日まで殿堂入りは果たしていません。
他の候補選手
ジョージ・ゼットレイン
George Zettlein:右投:1871年~1876年
1870年代後半の最速投手がボンドなら、1870年代前半の最速投手と呼ばれていたのはこのゼットレイン。その剛速球だけでなく球速を9回まで維持できるスタミナも持ち合わせていたとのこと。
アル・スポルディング
Al Spalding:右投:1871年~1877年
スポーツ用品メーカーのスポルディング社の創始者として有名ですが、選手(投手)としても活躍しプロリーグ設立初年度から6年連続で最多勝を獲得。もちろんハードな投手だったそう。
1880年代
1884~1885年に上手投げが解禁。また、1881年ごろにマウンドのボックスからホームベースまでの距離が50フィート(15.2m)に延長。
マーク・ボールドウィン
Mark Baldwin:右投:1887年~1893年
写真のように若く幼い童顔ながらも気性が荒く、持ち前の剛速球を荒れ気味に投げ込む恐怖感の強いピッチングだったと伝えられています。
1890年代(正確には1889年~)に入るとチームと契約に関して法廷で戦ったりアルコール中毒でパフォーマンスが低下。1891年には肩の痛みが決定打となり一気に劣化し20代のうちに引退。引退後は医学大学に入り開業医兼外科医として活躍。この時代の選手としては珍しく堅実な引退生活を送りました。
他の候補選手
チャーリー・スウィーニー
Charlie Sweeney:右投:1883年~1887年
1884年に1試合19奪三振の大記録を樹立した剛腕。1920年代の野球本にはウォルター・ジョンソンよりも速かったと書かれていました。(もちろん20世紀の投手より速かった可能性はゼロですが。)
また、スクリューボールを史上初めて投げた投手の一人とも伝えられている選手。スウィーニーは1880年代を代表する大投手になる才能もあった選手でしたが、1884年のシーズン途中に腕を故障し急激に劣化。この故障はそのスクリューボールの大きな負担が理由だったと言われています。
引退後は殺人事件を起こすなどボールドウィンとは正反対の人生を送りました。
1890年代
1893年にボックスがプレートに変わり、プレートからボックスまでの距離は現行ルールの60フィート6インチ(18.44m)に設定されました。
エイモス・ルーシー
Amos Rusie:右投:1889年~1901年
19世紀の剛速球投手の代名詞。多くの打者が当時最速の投手だったと認めており、対戦打者たちはマウンド間の距離延長を求めていたと当時の新聞で報じられています。上述したマウンドからの距離延長もルーシーの影響によるものだったという噂も。
剛速球投手にありがちのノーコンで相手打者は球速以上に恐怖を感じていたようで、頭に死球を受けた殿堂入り選手ヒューイ・ジェニングスは4日間意識不明に。
他の候補選手
サイ・ヤング
Cy Young:右投:1890年~1911年
言わずと知れた大投手ですが巨体から投げ込まれた剛速球も有名。もちろんこの剛速球だけでなく野球IQ・変化球・制球力にも長けた完成された投手でした。CyはCyclone(サイクロン)という意味ですが、これはヤングがトライアウトにおいてその剛速球でスタンドのボードを破壊したことをサイクロンと掛けて付けられたニックネーム。
この時代の剛速球投手には珍しく現役生活が長かったのも特徴的。
ジェット・ミーキン
Jouett Meekin:右投:1891年~1900年
一部の選手には「ルーシーやヤングよりも速い」と言われていた剛腕。当時の証言によるとルーシーやヤングと違ってミーキンはサイドスローだったようですね。
非常に攻撃的なピッチングを行っていた投手で「いい投手と対戦する時は最初の2球を頭か体の1インチ以内の位置に投げるべきだ」とコメントしています。
1900年代
スモーキー・ジョー・ウィリアムズ
Smokey Joe Williams:右投:1905年~1932年
ニグロリーグ前期のNo.1投手(後期はもちろんサチェル・ペイジ)。193㎝という時代離れした巨体の持ち主で剛速球だけでなく抜群のコマンドも持ち合わせた大投手でした。
もちろんウォルター・ジョンソンやサチェル・ペイジよりも速かったという証言もありますが、正直なところ「昔の〇〇は今の○○より速かった」みたいな懐古主義的証言ってあまり参考にならないですよね。さっきのジェット・ミーキンの話もそうですし、日本でも沢村栄治やカネやんについてこの手の話はよく聞きますよね。
まあ、私はこのウィリアムスが1900年~1910年の最速投手だったと信じていますが。
(下の記事でも取り上げています)
他の候補選手
ルーブ・ワッデル
Rube Waddell:左投:1897年~1910年
剛速球とカーブ(スラーブ?)を武器に1900年代の奪三振王として君臨した変人。
奇行の数々についてはWikipediaを読んでください。
1910年代
(10番の選手がディック・レディング)
ディック・レディング
Dick Redding:右投:1911年~1938年
通算30回のノーヒットノーラン達成や1試合25奪三振など様々な伝説を残した投手であり、そのスピードから「キャノンボール」というニックネームを付けられた剛腕。
サチェル・ペイジを抑えてニグロリーグ史上最速だったという声も強い。
他の候補選手
ウォルター・ジョンソン
Walter Johnson:右投:1907年~1927年
MLB史上最強の投手の一人であり、ボブ・フェラーがデビューするまでのMLBにおける剛速球の代名詞。当時の数多くの選手やメディアがウォルター・ジョンソンを史上最速の投手としてリスペクトしていました。
なぜ私がこのジョンソンを1910年代のNo.1に選ばなかったというと投球フォームが最大の理由。ウォルター・ジョンソンの投球フォームはスリークォーターに近いサイドスロー(上の動画)であり、このフォームの投手が普通のオーバースローやスリークォーターの剛速球投手より速かったとは思えないのです。
そこで、私はジョンソンの球速が本当に最速だったわけではなくフォームのおかげで打者から見ると速く感じる(体感速度が速い)投手であり、そのため対戦打者たちが最速だったと証言しているのではないかと考えています。同じくサイドスローだったジェット・ミーキン(1890年代)やドン・ドライスデール(1950年代)も同じような状況だったのではないでしょうか。
スモーキー・ジョー・ウッド
Smoky Joe Wood:右投:1908年~1920年
剛速球から上述のジョー・ウィリアムズと同じように「スモーキー」のニックネームを付けられら剛腕。タイ・カッブは「対戦した中で最高の投手」と賞賛しており、ウォルター・ジョンソンも「俺がジョー・ウッドよりも速く投げられるかって? スモーキー・ジョー・ウッドより速く投げられる男なんてこの世にいないさ!」と1912年に証言しています。
1916年に親指と肩の故障により投手としては実質的に終わりましたが、第1次世界大戦終了後に野手としてMLBに復帰。外野手をメインにプレーしましたが、唯一外野のレギュラーとしてプレーした1922年にはアメリカン・リーグのライト第2位となる18補殺を記録しています。最近でいうところのリック・アンキールみたいな存在だったと考えてよさそう。
1920年代
レフティー・グローブ
Lefty Grove:左投:1925年~1941年
20世紀最高のサウスポーであり1920~1930年代のMLBを代表する剛腕。
1935年(35歳)に腕を痛めるまでほとんど速球だけを投げていましたが、故障後に変化球を向上させて球速低下をカバーするなど柔軟性のある選手で、39歳までMLBトップクラスのパフォーマンスを残しました。
他の候補選手
バレット・ローガン
Bullet Rogan:右投:1920年~1938年
170㎝と小柄ながらその剛速球から「バレット(弾丸)」というニックネームを付けられた剛腕ですが、決め球のカーブを初めて変化球にも長けた1920年代のニグロリーグを代表する名投手の1人。
恐らく今回の記事に出てくる選手の中では一番小柄だと思います。
ダジー・ヴァンス
Dazzy Vance:右投:1915年~1935年
MLBで本格的にプレーしたのは31歳(1922年)からと非常に遅咲きの選手ですが、その年から7年連続で最多奪三振のタイトルを獲得し奪三振率の傑出度は歴代No.1。当時では珍しい綺麗なオーバースローから剛速球と球界屈指のカーブを投げ込み、サンディー・コーファックスが表れるまではドジャース史上最高の投手でした。
1914年~1915年(23~24歳)の時に腕を故障し劣化。20代のころはマイナーリーグでもパッとしない成績を残し続けていましたが、1920年(29歳)に再び腕を痛め肘から骨片を除去する手術を受けると突然パフォーマンスが良化するという奇跡的なキャリアを送った選手。
もしかすれば1915年以前はもっと速かったのかもしれませんね。
ジョージ・アーンショウ
George Earnshaw:右投:1928年~1936年
制球難により成績は平均レベルの投手でしたが速球のスピードは当時のMLBトップクラス。
全盛期には上述のレフティー・グローブとアスレチックスで先発1&2番手コンビを組んでおり、MLBの歴史上で見てもノーラン・ライアン&フランク・タナナやノーラン・ライアン&J.R・リチャード、サンディー・コーファックス&ドン・ドライスデールらと並ぶMLB屈伸の剛速球先発コンビだったと言えます。
コメント
コペックがいないのに大谷がいて草。
?
訳わからんくて草